【アニメ感想】アニメ好き女子が見る『ブルーピリオド』3話が個人的に神回だった話
いよいよ予備校デビュー!!
タイトルの、オブ ・ザ・デッドっていう
インパクト大な第3話。
ゾンビ映画かなんか…??🧟♀️
というのは置いておいて、
初めのデッサンシーンから既に共感できる感覚が
溢れていました。
「あっちを直せばこっちがおかしくなる」
「無意識にいつも見ているものに近づく」
「ダメなところは並んでみないと不思議と気づかない」
デッサンを通して学ぶ感覚って、
意外と日常にも通じてるな…
とブルーピリオドを見る度に思うのです。
物事のバランスや自分の無意識領域、周囲との違いなど、客観的に気づける機会って本当に貴重。
だからといってその"客観"だけでは動きたくない気持ちもありますが…!
今回の話は、そうした自分の感じ方と他者の感じ方、一般的な認識との対比による苦悩と成長を予備校生達を通して描いているように思います。
こんな感じで個人的には好きなセリフ、考え方の宝庫だった第3話を振り返っていきます💎
①『悔しいと思うならまだ戦える』
神、天才だと思ったら自分と無意識に切り離して考える人も多い中で悔しさを露わにする主人公。
その様子を見た龍二の一言。
「悔しいと思うならまだ戦えるね」
某監督の「あきらめたらそこで試合終了」を始め、
「俺はもう二度と敗けねェから!!!」
「泣く程悔しかったら…もっと強くなって見せろ!!!」
「泣くな。俺はまだ泣いていいほど、懸けてない。悔しいだけでいい。」
「負けと向き合うのは大人になっても難しい」
「所詮、人間の敵は人間」
といった様々なアニメのセリフが一瞬でよぎりました。
(どのアニメか分かったらスキ❤️して下さい!笑)
不屈の精神と言うと大袈裟かもしれないけど、
悔しさを糧に成長する、
常識や天才に立ち向かう、
そういう向き合う力にとても惹かれる。
私の好きなアニメの共通点がまたひとつ明確になったなと思いました。
(いつか、好きなアニメの名言を内容や支えられるシーン別でまとめたいな〜🤔💭)
個人的な話にはなりますが、実習でも、経験豊富な人の立ち振る舞いに刺激を受ける日々で、自分は何も出来ないと悩むことが増えました。
そんな中で実習担当者は私に対し「実習生だからできなくて当たり前だよ」と慰めてくれました。
恐らく担当の方は、ゆっくりでいいからきっと出来るようになる、今はできる部分に目を向けようと
ポジティブな意味で言ってくれているのもわかる。
だからこそ、そんなこと言われないと余裕を持てないぐらい視野が狭くなってしまっている自分の未熟さを余計に痛感するのです。
第3話では、
"悔しい"という気持ちの尊重の仕方、活かし方を
また学べた気がします。
そして、「やった分しか上手くならない」、「天才と見分けがつかないぐらいやればいい」、と考える八虎が既に努力の天才…浅田真央さんをふと思い出す…
(と、また線引きしてしまう自分。。。)
②『正しいかより自分がどう感じたかのかが大事』
芸術について語る予備校生の橋田くん。
彼にとっての"芸術"は"食べれん食べ物"。
レビューが多ければ気になるけど、だからといって
世間一般に良いとされている物や高いものが
必ずしも自分の口に合うとは限らない。
逆に大事な人が作ったら何でも宝物になる。
ここまでなるほど〜と思わせるほどの考えを自分なりに編み出した橋田くんも、絵と向き合い続けているんだろうなと思わせられたシーンでした!🍴
③『自分の好きでいいのかも』
キタ━(゚∀゚)━!ドガの作品!
②のやり取りを受けて、ドガの作品を見た八虎は、美術は敷居の高い、高尚なものだと思っていたが
自分の好きでいいと思えたシーン。
このシーンはそういう主人公の意識の変化も
とても印象に残りましたが、それ以上に、
「高尚で敷居の高いものじゃなくてもいいのかも」
というセリフをドガのバレエの踊り子を描いた作品と合わせて演出したことで、より心に響きました。
この演出は震えます😳
以下、震えた理由です。(割と長い。汗)
《ドガについて》
ドガは裕福な家庭でしたが、子供の頃に母を亡くし、銀行員の父に育てられました。
私のイメージですが、真面目で、厳格な父に育てられたから、"いい子"であることへのスキルと葛藤を得て、さまざまな現実に気づく観察眼が身についたのかなと思います。(偏見)
私的には、ドガは「ど真面目な捻くれ者」です。
そうした背景からか、一見真面目で古典風だったり、明るく華麗だったりしても、どこか影を感じる作品が多い気がします。
《ドガが描くもの》
今回アニメで使われていた作品の他にも、バレエの作品は多々あります🩰
どれも、踊り子の華麗さ、あるいは疲労感がどちらもリアルな描かれ方をされています。
それほど動きに忠実で、作品を見る人がその光景を映像で見ているかのようなリアルさがあると思います。生放送感。
その動きのリアルさをより引き立たせるのが、皮肉にも、影の存在がいるというもう1つのリアル。
こんなにも綺麗な色使いに、こんなにもリアルな、というより生々しいものが描かれるなんて。
編集や加工で消して補正されるような所を、敢えて描くのは本当に斬新で挑戦的だと思います。
彼女達の細かな動きに着目しながらも、踊り子やバレエ鑑賞自体の社会的な立ち位置にも着目するその視点。
今回アニメで使われた作品も、バレエの練習風景で、男性に指導されている様子が描かれています。
中心にいるのは男性の指導者。指導者は優しいかもしれないし、踊り子たちもこの後の本番を頑張るかもしれない。
しかし、それはなんのための指導、練習なのか…
なぜ踊り子たちは舞台で華麗に踊るのか
なぜ稽古されるのか…
それは作品への愛ではなくパトロンにアピールするため
踊り子の努力は作品に対するものではない
もはや古き良き伝統的なバレエなどない
媚びを売り、承認とお金を得る踊り子、指導者
欲を満たすパトロン
そんな現実への冷たい目を感じます。
冷たい目に至るまでに何があったのか…
怒りや諦めなのか、自分とは土俵が違うとナルシスト感なのか、、、
自分も踊り子は好きだけど、あちこちに媚びを売る姿は嫌だという嫉妬なのか、、、(そう見えるほど踊り子の仕草に可愛いと思ってそうな描写がある)
アピールも欲も醜いが人間らしくて逆に好きみたいな感覚もあるのかな、、、
お金持ち気取りの奴らは女の子を買うのに必死だけど、俺はその様子すら作品にするぜ!みたいな、余裕ある男性こそが1番!みたいな感じもしなくもない。(それはそれで好き)
私の好きポイントはキリがないですが、とにかく、
個々の動きと社会の闇にここまで写実的でいられるこの技術と視点が今でも多くの人を惹き付ける所以だと言えます。
高尚なもの、敷居の高いものだった華麗なバレエが
上流階級の人の欲を満たすだけのものになることで
もはや芸術としてのバレエの品が落ち、ある意味身近になったとも言える
お金持ちのものではあったけど
高尚なものではなくなっていたバレエ
そうした現状を1歩引いて描いている。
そうしたドガの作品を
「高尚で敷居の高いものでなくてもいい」
の気づきのきっかけとして使った演出はよく考えられてるなと思います。ドガ好きとしてはたまりません!(誰目線)
高尚でなくなった生々しさ、社会の闇を描いた冷静さのある作品から
高尚でなくて自分の好きを貫いていいというポジティブでワクワクする感覚を覚える
社会にとって高尚ではなくなったバレエ
自分にとって高尚でなくても良くなった美術
このコントラストが絶妙です!最高!
ブルーピリオドを見ている中で今のところ1番好きなシーンです!!!
④『世間がいいって言うものにならなきゃいけないなら、俺は死ぬ』
『俺の好きだけが俺を守ってくれる』
今回は龍二のセリフに何度も考えさせられました。
最近、自分を守るものは何か、自分を強くするものは何か、自分にとっての矛と盾のようなものを考えることが増えました。
よく、知識が自分を強くする、守る、と聞く気がします。
自分の好きや、自分にとっての矛と盾
まだまだ答えが見つからないな〜
世間や先生の評価から学ぼうとする八虎
自分の好きのために生きる龍二
その2人のやり取りには今後も注目ですね。
まとめ
以上、長くなりましたが、第3話を振り返りました。
ブルーピリオド、登場人物それぞれが魅力的で、言葉の重みもあります!
アニメだからこそ名言、名シーンとして取り上げられるだろうけど、好きを日々磨いている人達の言う言葉には説得力があって当然だと思う。
アニメを見て毎回思うのは、本人たちにとっては普通の言葉、考え方、日常の一コマでもアニメになればそれが名言、名シーンになるように、いつか自分の生き方が切り取られた時、他の人が見てなにか思うような、そんな自分の物語を生きたいです。
ところで、結局、予備校デビューオブザデッドとはなんだったの??🧟♀️
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