あなたは共感覚者?→分かりません。ただ、共感覚の知見は私の体験の説明に役立ちます。

先日、海外のfacebookで共感覚グループで聞かれた。

「Are you a Synasthete?(あなたは共感覚者?)」

私の答えはこうだ。

 I actually don't know I'm a synesthete. I just got to know that people don't hear from text, person, pictures and things these days.(From picture, it's rather rare to me to feel sound.I am observing myself now) But I think Synethesia can explains my experience the most.If I was a synasthete, I could be "Hearing with eyes"type.

私が共感覚者かどうか、分かりません。最近、他のひとが、文章や人、絵画やモノから音が聞こえてないことを知ったばかりです。(とりわけ、絵画や写真は、音を感じることの方が稀です。私は今、自分を観察しているところです)共感覚の知見は、私の体験をとてもよく説明してくれると思います。もし私が共感覚者だとすれば、「音視共感覚」のタイプにあたると思います。


うん。これが、今の私の事実だ。

なんというか、「共感覚者」「非共感覚者」の単語がもつ響きが苦手だ。

あえて、かなり、強い単語を使うと、「選民意識」(共感覚を持つ人の中にそう自分を位置づける人は少ないというのは知っているけれど)繋がりかねない、なんとなくリスキーな響きを感じてもしまう。

なんというか、うまく言い表せないけど、「新人類」的なカテゴライズの雰囲気が、漂う。

学術研究の場で把握されている人数の少なさや、現象の捉えようのなさ、定義の難しさ、共感覚体験の主観性、本人にとっての意味付けのスペクトラムの幅広さ、などが複雑に絡み合ってはいる。
けれど、思い切って言ってしまえば、科学的事実として「人間」っていう種族の、「単なる知覚現象のひとつ」、それ以上でも以下でもない、というのが今の私の小結論だ。

当然、霊能力でも超能力でもなければ、そのグループの特性に恣意的な味付けをするべき特徴でもない。

「共感覚」そのものは、特殊だろう。でも、だからと言って、共感覚を持つ「共感覚者」が、特殊な人間というわけではない。

LGBTQにしても共感覚にしても自閉症スペクトラムにしても、ひとつの単語が本当に、「単なる特徴」をフラットに表現するまでには、時間がかかる。

「共感覚」というひとつのグルーピングに、外からも内からも、重たすぎる意味合いが与えられずに済むことを願う。

父が自閉症スペクトラムだ。60を過ぎて、テストを受けて、分かった。

IQテストは、130〜140だった。

父がテストを受けて、なんらかの結果を受け取って、知れたことは、家族にとって良いことだった、と私は思う。

休日には自室に篭り、何時間も爆音で大好きなクラシックに聴きいる父、クラシックなら数秒イントロを聞いただけで作曲家や楽曲の第何番、とかまで言い当てる父、同じ曲でも指揮者によって違うし、同じ指揮者でもいつの録音かによって違う、とCDを大量に買い集める父、子供の宿題をみては、「どうして分からないのか分からない!」と怒りだす父、予定変更にはパニックになり耐えられない父、そういう父像を、自閉症スペクトラムの知見を持ってして見直すと、腑に落ちたし、無駄に悲しんだり怒らずに済むようになったからだ。(母にとってはどうか分からない、少なくとも私にとっては良かった)

でも、このテストを受けて結果を受け取る前も後も、父は単に、父のままだ。

自閉症スペクトラム。ふぅん。だからなんだ、という気もする。

説明から現象を見たくない。無駄だ。

現象の理解に説明を役立てたい。その姿勢の場合、知識は、混沌に秩序を、不自由に自由を、無自覚的な思考の縛りに解放を与えてくれる。

「共感覚者」と「自閉症スペクトラム」は、響きが似ている。

ある語彙が本当にフラットに、単なる特徴、を表現する語彙に昇華するには、時間がかかる。

今はまだ、そこまで昇華されてない気がする。

だから、私は、長々とこう言おう。

共感覚者かどうか?私には、分かりません。共感覚の知見は、私の体験をうまく説明してくれます。もし共感覚だとすれば、「音視共感覚」タイプにあたると思います。今、私は自分を観察中です。

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