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ライブ・ペイン・ティング(下)

1人と0.5人と0.5人と0.5人が事務所で一堂に会している。

「さて、ここが我が仕事場だ。お茶くらいは出すから遠慮なく我を忘れてむしゃぶりついていいよ」
「あはは、つきませんよ」
「ん?君たち緑茶苦手?お茶は日本人の心だよ」
「いえ、そういう意味ではなく」

というか、現状幽霊みたいに物質に触れられないので呑みたくても呑めないだろう。無論西宮もそれは承知で、こういうのはもてなす意思が肝要なのである。決して無知を装った意地悪ではないはずだ。多分。因みに幽霊なのに服を着れているのは、自己と認識している像がそのまま他者にも見えているからであろう。彼らの場合少々特殊な経緯であるため、一般化は出来ないが。

「それでは、アイスブレイクもほどほどに、早速君たちの現状と今後の展開について説明してしまおう。まず君たち2人に起こっていることだが、別々と考えた方が分かりやすい」

探偵はソファーに腰を下ろし、説明を始める。

「まず四ツ谷くん。ご存知の通り君の家系には狐の血が入っている。それが今回影響したようだ。君たち2人は何故か呪法の対象として選ばれ、それが四ツ谷くんというイレギュラーの存在で失敗し、その結果君たちはそんな風になってしまった訳だ」

「はい先生」
「なんだね?」
「徹頭徹尾意味がわかりません」

「だろうね。かいつまんでみよう。まず四ツ谷くんの家系について。何も君の一族がこの場で変身して、実は九尾の狐でした!となる訳ではない。もしかしたら人に化けたのが一匹くらいはご親族にいるかもしれないけどね。狐との縁が深い血なのだ」

狐と言えば伏見稲荷や、妲己と玉藻前等が有名だろうか。伝承に詳しくなくとも、九尾の狐という単語はこの国のほとんどの人間が耳にしたことはあるだろう。

「四ツ谷くんも薄々は感じたことない?ふとした日常の一幕。やけに印象に残る狐に関する事象。深い縁を感じた経験。あるいは自分がそうなのだという、アプリオリな自覚。何となく言ってることがわかるんじゃない?」

「まあ…ぶっちゃけ思い当たりますね。嫌いな動物ではないですし。昔怪我してた野狐を助けたこともあるし…流石に自分を狐が化けた人間というつもりはありませんが、星座があったらおきつね座だったろうな」

思い当たるんだ。空気に飲まれて何となくそう答えてしまったという感じではない。

「あ、了解。そもそもこの国で九尾なんて超メジャー妖怪だからね。あやかしというものの1つのシンボル的ですらある。それ故に色んな土地で馴染み、風土に溶け込んでいる。ふとしたきっかけで狐との強い縁が繋がってしまうこともままあるんだ。君のお爺さんが実は恩返しにきていたごんぎつねを殺してしまったりとかね」

「あー確かによく聞くかも…妖狐とか…狐耳の美少女とかありふれてるし!」

「人に呪法をかけるのと、人外にかけるのとでは話が全く別物だ。尤も、それくらいも察せられないようじゃ成功率は絶望的だがね。まあそんな素人の通り魔に絡まれて御愁傷様だ」

「待って下さい」

清聴していた涌井くんが声をあげた。

「どうして僕ら2人が…呪いだなんて。そんなに恨まれるような事をしたって事ですか?」

「いいや。君らは恨まれるような事してないよ。今のところは。呪われたから、呪われるような事になったんだ。さて」

ポケットからペンのようなものを取り出し、一吸いして煙を吐き出す。煙といっても味のついた水蒸気だが。

「ここからが説明が大変なんだ。何せ常識からかけ離れている。でも出来る限りの理解しておいて欲しい。相対性理論を好きな子とのデートだとか熱いストーブに触っている時間だとか、そういう喩えでわかった気になるのではなくね。正しい理解だ。そうだな…君たちは時間と空間が、そこまで絶対的じゃないということはわかるかな?」

「どういう事でしょうか…時間も空間もちゃんと実在してて、ちゃんと規準がありますよね?」

「そう、実在しているよ、頭の中に。時間とは日が登り落ちる、そういった自然のサイクルに数字を割り振ったものだ。人が自分の人生を認識しやすいように、細かく区分けされた寿命ともとれる。うーんめんどくさい…」

説明の途中で面倒臭がらないで下さい。

「はいはい…世界は人の頭の外の世界と、人の頭の中の世界…2つあるんだよ。精確には自分、他人、この宇宙で3つ。世界は改変出来ないが、書き換える事は可能だ。時間も空間も、知らなければ存在しない。仮に今南極が消滅しても、報道されなければ君の頭の中の南極は無事のままだ」

「でも…それだと南極に実際に行ったら南極はありませんよね?」

「うん、そうだね。その指摘はもっともだ。でも、君は南極に行く予定があるのかい?一体何をしに?この世に南極に行ったことのある人間は全人口の何%なのかな?そして、南極へ向かった筈なのに別の大陸へ案内されたとて、君はそれが南極ではないと判別出来るのかい?」

「それは…わかりませんが…」

「でしょ?極端な喩えだけど。…絶対的な思想基盤の曖昧な、多様化の時代だからね…陰謀論者も馬鹿には出来ないってことよ。多様化とはつまり相手が何を考えていても、実害が無ければ許容しますということだからね。そもそも文化とは他者の世界の解明の歴史と遺産だ。それほどまでに、異端への不安というのは根源的なものなんだよ。多様化の究極は全ての人間の同一化だろうね。あらゆる価値観を受け入れる人間ばかりでは、個は消滅する」

玖。話が脱線しています。

「おっと…そうだね。時空間の話だった。要するに一度経験して、記憶になった物事っていうのは時間も空間も関係ないんだよ。遠い国の記憶も物心つく前の記憶も、強く印象に残っているなら一瞬で思い出せるでしょう?んで、呪法ってのは人の頭の中の世界で生まれた技術だから、そういう物理的な常識では測れない結果を起こすことがある」

「いいかい。ここからは仮説も入るよ。まず涌井くんが何らかの原因によって死亡。それに心を痛めた司書さんが素人の呪術師を雇って、涌井くんを甦らせようとする。他の誰かを犠牲にね。しかし、そちらの呪法も失敗。呪詛返しにより四ツ谷くんも巻添えに。あ、呪詛返しってわかる?」

「はい!呪術回戦で読みました!」

四ツ谷くんが横から元気よく答える。

「え?でも…変じゃないんですか?呪詛返しって呪った本人に呪いが返ってくる事ですよね?それに、その説明だと結局僕の呪われる原因って…」

「そうなんだけどさ…そうなんだよね~」

煮え切らない態度を西宮がとる。

「正直私も全知全能とはいかないからね…まだ絞りきれてないんだ。申し訳ない。実は君はただの自殺で、自殺したことを忘れているのか…あるいは呪いが失敗したことで、因果が逆転し、過去に遡って涌井くんを殺した。こういう可能性もある」

「いやいや、こいつ自殺は流石に無いっすよ!こいつとは結構長い付き合いですけど、そんな雰囲気ゼロっていうか。事故に遭ってそれを忘れてるとかの方がまだ有り得ますって!」

あれ?
何か今…違和感のような…気のせいか?

「まあいずれにせよ、岡本さんの依頼先…ここじゃない方ね。無茶苦茶してくれたよ。作法もセオリーも低レベルなのにフィジカルでゴリ押しするタイプと見た。こいつとはなるべく早急にカタをつけるつもりだ。そうすれば一件落着、君たちも元の生活に戻れるって訳だ」

「僕達は…本当に元に戻れるんでしょうか?原因すら不明なのに死者が生き返れるのでしょうか?」

「君たちは死者じゃない。半死半生なんだよ。そこは確実だ。保証するよ。だから蘇生も死人を生き返らせるよりずっと簡単。また以前のように図書館で読書出来るようになるよ」

「あ…そういえば岡本さん、急にあれ、どうしたんでしょうか?何度か話した事もありますが、いきなり手をあげるほど激昂したのは少し驚きました」

「そうだねぇ…ひどい傷になってなければいいが」

「はぁ…随分立派な手形になってますけど、しばらくしたら綺麗に元通りになるんじゃないでしょうか?」

「私の事じゃないんだけどね~」

「えっ?」

「まあ良いか。仲を取り持つって依頼じゃないしな。ここまでで何か質問ある?」

「じゃあ…はい」

「はいどうぞ涌井くん」

「あなたは一体何者なんですか?探偵じゃないですよね?」

「ふむ。呪術師ですか?と訊かなかっただけ賢いね。一応探偵だよ?ほら、探偵っぽい格好でしょ?」

西宮は被っていたハンチング帽子を人差し指でくるくると回した。

「正解を教えてあげても良いんだけど、名前沢山あるんだよね。超社会人級の探偵とか虹の魔女とか色々ごちゃごちゃと。まー…あたしは西宮玖、だよ。一人称これで合ってたっけ?」

好きにしたら良いと思う。

「あ、俺も質問!」

「はい四ツ谷くんどうぞ」

「そこのクールな美少女さんのお名前も知りたいです!」

………。

えっ?

…えっ?まさか私の事?

確かに私は自他共に認めるクール系美少女だが…。そんな…きっと「ふむふむ、なるほどこれは信頼できない語り手というやつですね!やってみたかったんだこれ!うわー楽しみ!」とウキウキになって伏線をまいていたのに…。意味深な語りも笑みが溢れるのを我慢して一生懸命シリアスしてたのに…そんな。もっと「まさか西宮は二重人格で、歩夢とは裏の人格なのでは?」とかそういう推理を煽りたかったのに…。

「おい。いつまで自己紹介もせずにブツブツ独白かましてんだ。失礼だぞ」

「あ…はい。夢野歩夢と申します…西宮の助手です…ってか私の姿見えてるんですね。いやあなた方は今幽体だからそりゃ見えますね…」

「因みにコイツは実体の猫にも変身出来るぞ!何気にとんでもないことですこれ。図書館でこの猫見覚えないかな?」

渋々黒猫に姿を戻す私。

「うわっ!スゲーCGみたい!あの時の猫ちゃんだ!」

「あ…ほんとだ。よく知ってます。特に特徴のある模様は無いですが…この綺麗な艶の黒毛にちょっと気難しそうな雰囲気…」

考えてみれば、初めてわかりやすくファンタジーな現象が起こったのかもしれない。奇天烈な会話が横行しているので、感覚が狂うが。

「歩夢はね…本が好きすぎて本の下敷きになった少女が猫に転生した姿なんだ」

「大嘘こかないで下さい。悪質ですよ」

「ごめん…本当は生まれつきこういう存在なの。生まれる前はそうでもなかったのかもしれないけど。シュレディンガーの猫が時代の波に揉まれて美少女化したとでも思っといて」

「あ、出たシュレッダー。僕らこの前そんな話してましたよ。それじゃあ張本人の前で噂してたのか。不思議な運命ですね」

「ね。本当…」


「不思議。」

「それじゃあ、後は岡本さんに電話でもして裏で糸引いてる輩の所在を尋ね…いやそれはもう少しほとぼり覚めてからだな。明日でいいか。君たちはここで寝泊まりなさい。退屈だったらtrpgの道具あるからそれで遊ぶと良い。君たちはtrpgやったりする?」

「大好きっす!パラノイアとかクトゥルフとかシノビガミとか!」

「僕はあんまり経験なくて、人狼くらいしかやったことないです」

「おっ良いじゃん人狼。丁度ワンナイトのやつもあるし。一時期私もハマってたよ。全盛期は長期村3つ並行で進めたりそのうち1つの村ではギドラCOもしてた」

「うわー……考えただけでも吐きそう」

人狼とは所謂「汝は人狼なりや?」というゲームで、亜種のような派生がとても多いゲームだが、元々はチャットを使用して、村人を襲う人間に化けた狼を議論や占いといった要素を活用し探し出すゲームである。短い時間で済むものもあれば、西宮の言っている長期人狼のようにリアルタイムで一週間ほどかけて遊ぶものもある。無論常にゲームに張り付いている訳ではない。1日のうち、何度か議論が活発になる時間帯がある。プレイヤーの中から処刑される人を選ぶ、投票の時間帯や占いの結果や狼の犠牲者が出る朝の時間帯等。夜時間のうちに、村側は対象が狼か人か判別出来る「占い師」「霊能者」等が能力を行使して、狼側は偽物の占い師に成りすましたり村人の推理を撹乱しながら最終的に勝利条件を目指す。

「そういえば今回の一件、少し人狼っぽいと思ったんだよね。妖狐も猫又もいるしさ」

「へー。じゃあ西宮さんは何の役職なんですか?」

「うーん。ゲームマスターかな?」

「それだと推理も何も無いから探偵失格ですね。あ、でもそれ以前にゲームマスターは初日犠牲者なんでしたっけ」

「そこら辺はローカルルールとかで変わるね。じゃあ狩人と言いたい所だけど、護衛は失敗してるしなー。共有者かな?歩夢とセットで」

「私は猫又だったのでは?」

「私の相棒なら共有騙りくらいはこなしてもらわないとね」

手厳しい。今だって人狼の説明を頑張ってこなしているというのに。

「まあ今回はギドラCOってよりギドラ村って感じだけどね。そう言えば、涌井くんは多重人格だったりする?念のため既往症なんかをざっくりで良いから教えてくれると助かる」

「はい、全然大丈夫です。そうですね。肉体の方は特に何も。健康です。前に通ってた心療内科では抑うつ障害や離人症と診断されました。自分では平気なつもりだったのですが、いじめみたいなものを受けていて、それが思ったより負担だったみたいです」

「みたい、ね。因みに自分のその精神的な病に気付いたきっかけとかってある?」

「趣味でブログを書いてたら、コメントで鬱病を指摘された事がありまして。それが理由です。あと、ついでに不思議の国のアリス症候群という珍しい病気もあります。これは現状意図的に制御出来ているので、病気の実感は無いですが」

「あー……アレか。私も経験あるよ。結構子供にとって深刻な恐怖だと思うから、その病名はナンセンスだよね。実際に体験してみないと深刻さがわからないから仕方ないんだけどさ」

不思議の国のアリス症候群とは、端的に言えば大きさの概念が狂ってしまう病気なのだそうだ。突然物の大きさが狂った幻覚を見たり、体性感覚の知覚的変容が一時的に起きたりする。確かに病名としてはややファンシー過ぎる印象だ。

「そうかそうか。なるほど、君はアリスなんだね。男の子だからその可能性をすっかり忘れてた。迂闊だったな」

「まあ少女性というのは少女そのものにも自由に扱える訳ではないし、少女性の権化、不条理へのカウンターで有るところのアリス。つまり巻き込まれ型の主人公といえば、確かに今回の涌井くんにも当てはまるか」

「ねえ玖。もう辞書になるのは疲れました。あなたもしかしてわざとやってますか?」

「いや…あはは、ごめんね歩夢。でも必要な事だから、頑張って」

「西宮さん、それってヤバい病気なんですか?」

「そんなにヤバくないよ。大丈夫。あれは…何だろうね。根源的な恐怖だったり、感情として発露した絶望…クオリアと同じくらい言語化と相性悪いんだ。ちょっと言葉にすると溢れ落ちる部分が多すぎる。まあ君の狐憑きと似たようなものだよ。そして……となると全貌は少しずつわかってきたかな」


「今回の一件、つまり涌井くんの死…いや死んだというより半死半生みたいなものなんだけど…これは物語の喰らい合いだ。相手の物語を喰らい、自分の物語とする。そういう類いのデスゲームなんだ」

漸く光明が見えた。口の端を歪めた凶悪な笑顔で西宮が呟く。

「今のところは、ね」

ゆっくりと再び

歯車は稼働を始めます。

とある何処かの最終局面で、
名探偵はさてと言う。

「私は西宮玖。断定する」

「私は雷草子。拒否しよう」


剣呑。
これは剣呑だ。

能面の作務衣を着た女と、
般若の面をした浴衣男。

これは画的に時代錯誤も錯誤。映像化には覚悟が必要だなあと、その傍らでぼんやりと物思うワタクシ。

呑気でせうか?
いえいえ、私は存じて居るのみ。
もはやこの男女は、生き死に賭けた争い等という、壮絶な領域の虚しさがわからぬところには居りませぬ。住む世界が、違います。

元はと言えば、そういう類いのお話だったのです。何の因果か、過ちか。いつかの空想、恋する少女は思います。

「どうして、この少女の命は失われてしまつたのだろう?」

そして少女は思い付きます。
幸福な世界が存在しないのならば。
作ってしまえば良いのだと。

けれど現実は厳しい。物語を書いた事の無い少女の処女作…つまりは今あなたが読んでいるこのお話は、とある女性の痛みに満ちたものでした。




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