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好きな言葉は、「黄昏」

「黄昏(たそがれ)」という言葉が、昔から好きでした。特に意味はなくなんとな〜く好きだなというものありますよね。それです。

twilightとかいう英語にしてもかっこいいなんて卑怯な言葉です。新海誠さんの映画とかみても夕暮れ、夕方、黄昏は幻想的に描かれていて心に何かしらの影響を与えうる時間です。

では、カメラを趣味にしている私が撮る写真に黄昏があるのかといえば

No

全くと言って良いほど黄昏時の写真はないです。

理由を言語化するならば、好きなんだけど自分で撮るとなんか違うものになった気がして、午前に撮影を行うことが多いです。というところになるのか、めんどくさいから黄昏時なんか待ってられないというのも真実です。

正直、フォトグラファーに向いてないなぁとおもうのが、この苛な性格です。風景フォトグラファーの人たちは、この時間、この天候などなど緻密にリサーチ、計算して1枚の写真を完成してるのを見せつけられて忍耐力の差をスペックの差を如実に感じるわけです。

多分ポートレートでも同じことが言えるんでしょう。夜は寒くてやだし、冬も寒いし、夏も暑い、環境の変化に耐えれない。そんな弱弱な私に付き合ってくれる被写体さんもいるわけで日々感謝。

好きものが写真に投影されるわけではないと分かっていただいたところで、写真の話にするなら、好きな写真家さんたちの写真を追い求めるのは、かなーりハードであるということに最近気がつきました。

Instagramもまだまだエモいの文化が残っていて、そういう写真を見てカメラを始めた人も多いのではと思っています。もし、好きな写真家さんがいるならその人の完コピ(カメラ・レンズ・フィルム・距離感など)をするじゃないと割と失敗している気がしてます。

目標があるのに、自分のエッセンスを入れてオリジナリティを出そうとして多くの人が失敗している印象です。もれなく私もですが()

実際のところ、写真を撮れば撮るほど十人十色だと思えるようになりました。成長成長。


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