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長編小説が完結しました

先日、ステキブンゲイさんに投稿していた長編が完結しました。

『インナー・ヘヴン』

今まではある程度まとまった量を(長編だったら完結後に3分の1ずつくらい)投稿していたのですが、今回は章の区切りごとに1日1話ずつ公開する形式を選んでみました。毎日投稿のようなことを一度やってみたくて。

読み返せばまだまだ拙く反省点も多いですが、まずは完結できて良かったです。少し寝かせてから細かなところを練り直したいと思っています。

主人公ふたりが勢いで東京タワーにのぼるシーンが特に気に入っています。


「うちはね、あかつきが誕生日プレゼント何が欲しい? って訊いてきたのがきっかけ」
「何て、答えたんですか」
「『ひらりちゃん、暁くんと同じ苗字が欲しいなあ』」
 
 当時の自分を再現しながら、彼女はくっくと笑っている。

「『そんなもの欲しいの?』ってびっくりしてた。『俺の身体じゃいつまで一緒にいられるかわかんないよ』って」

 まだびっくりした気持ちが続いていたのに、そう続けたひらりの言葉にわたしは不意打ちで胸が痛んだ。
 ひどく幸せな状況にいるはずなのに、彼らふたりの世界には確かに果てが存在していた。彼とともにある生活は、いつか自分達にはどうにもできない理由で取り上げられてしまうかもしれない。その可能性がわずかながらもちらついていたからだ。
 絶対にそうなると決められているわけではない、でも見て見ぬふりもできないこと。明日を保証されている人間なんて本当はいないとわかっていても、五年後十年後を思い描いたときに胸が苦しくなるような何かをわたしは持っていない。

「それで――ひらり先輩は何て」
「『だったらなおさらもったいぶらなくたっていいじゃねえか』って騒いだ」

 わたしが何とかしぼりだした一言に、彼女はそう答えた。とたんにべらんめえ口調みたいになって、抗議するようにわずかに身を乗り出している。
 あっけにとられてしまったわたしは、何も言えずに彼女のほうを見ていた。何というか、その会話の流れでこの人は全然しっとりしないんだ? と思ったのだ。そんな物言い、普通だったら到底許されたものじゃないだろう、とも。
 そろそろとスカイウォークウィンドウのほうに近寄りながら、彼女は続けた。

「暁はわたしよりはるかにまともだからね。喧嘩にもなったし、もちろん渋ったよ。でも欲しい欲しいって言い続けたら、折れてくれた。常識的な考えが邪魔してただけで、本心は嬉しかったんだと思う」
「そう、ですか」
「自己肯定感が低いみたい。しかも彼の場合は漠然と低いっていうんじゃなくて、身体弱いって裏付けがあるじゃない? だからこう、いろんなこと踏みとどまっちゃうんだな」

 そういう繊細さも可愛いよね、とのろける顔は放っておくことにする。
 この人の伊川さんに対する愛情は、やはりどこかクレイジーだ。伊川さんは確かに達観したような雰囲気のある青年だけれど、周囲の女の子達がこぞって追いかけるような人というわけでもない。顔立ちも品よく整っていて仕草もゆったりときれいだし、勉強もできる人だというけれど。
 それでも、こんな熱量で好意を伝え彼を支持し、彼の負う事情にもめげずに一緒にいてと言い続けているのはひらりだけだ。

「それでその週末、すぐむこうのご両親にご挨拶に行って」
「男前すぎません?」
「よく言われる、それ」

 でもそのおかげでこの夏無事入籍、と彼女が告げた。
 彼に対して立場上どうしても関われない部分があったけれど、法的にも家族になったがゆえにそれもクリアした、らしい。幸せそうな表情で笑い、ひらりは先を見渡している。

「伊川さんのご両親には、反対されなかったんですか」
「まあ、最初はそれなりにね。でも看病も事務手続きも分担できるようになって、結果的に負担は減ったみたい。医療費助成の申請とか、手続き面倒だったりするから。暁が具合悪いときはお義母さんがやってたみたいなんだけど、かちっとした文章苦手らしくてね」

 その手の作業はまったく苦にならなさそうな人物だったからこその展開だったのかもしれない。嫁姑で揉めてる余裕もないし、と言う姿に、こういうところはひどく現実的なんだなと思わされる。
 そんなことを考えているうちに、少し先で人が動いた。空いたね、とわたし達はそこに踏み出す。
 何度か映像で見たことがあるけれど、実際に立つのは初めての場所だった。展望フロアの窓辺近くにいくつか設置されているスカイウォークウィンドウ。長方形のかたちで、そこだけ床がガラス製になっている。

 行くぞ縒ちゃん、と言われてわずかに躊躇する。興味はある。でも少し怖い。

 ひらりが何かを言いかける前に、平気、と思った。自然と身体が脇を締める。
 彼女の一連の勢いに感化されてしまったのかもしれない。いつもならもっと長く行動に迷うのに、そうはならなかった。安全に作られている。こんなのお遊び、全然平気だ。人や車もビー玉くらいにしか見えない、百五十メートル下まで丸見えでも全然平気。
 わたしは伊川ひらりとふたりで、その床の上にそろって足を踏み出した。

 ガラスに足が乗る瞬間には思わず片目を閉じたものの、見えないほうが怖いと気づいてすぐに両目を見開く。わたし達の反応は同じだった。うわあ。
 小声できゃあきゃあ言いながら、やっとそこに両足を置いた。わかっていても、わずかに腰がすくむ。足元がどうしようもなく頼りなくなってしまう。赤く塗られた鉄骨がすぐ下から地面まで緻密に組み合わされているのを視線でなぞりながら、つい息をのむ。
 安全だとわかっていても、どうしても思ってしまう。やっぱり、おそろしく高い。

 すごいと怖いを持ち合わせたまま顔を上げると、伊川ひらりはわたしと同じだろう表情をしていた。
 
「いやめっちゃ怖いこれ」
「楽しそうじゃないですか」
「だって、この怖いを楽しむためのものなんでしょ」
「どうして変に冷静なんですか。もっと怖いじゃないですか」

 うるさくならないよう、小さな声を上擦らせながらのひどく滑稽なやりとりになった。互いの顔と足元を何度も往復しているうちに、どちらともなく笑いがこぼれる。そろって目を大きくしながら、わたし達はその恐怖を楽しんでいた。
 こんな一日になるなんて思っていなかった。今日は早めに帰って朱子学の勉強をするんじゃなかったっけ? 友人の紅ちゃんから借りていた本も、今日中に読み切って明日の朝返そうと思っていたはずなんだけど。
 
 子供が高価なプレゼントをねだるみたいにして結婚した、新婚ほやほやの夏の花嫁とふたり、まったく予定になかった場所で向かい合って立っている。観光客があちこちで思い思いにスマートフォンを掲げ景色を眺めている、夕暮れ前の東京を互いに遠くに背負いながら。

 夏の終わりが胸に触れ、小さくはじけた気がした。

 まだ心の中に入れたことがない、まぶしい何かの気配があった。少し切なくなる、それでも甘い、何か懐かしいもの。どこかで見たことがある、でも何だっただろう。知っているはずなのにわからない、まだこの世界でかたちを得ていない特別なもの。
 風みたいにそんな思いを起こす、世界を鮮やかに生きたものに変える人物が目の前に立っていた。

「何なの、本当に」

 思わずこぼれた言葉は、もうこみあげてくるものに震えていた。
 わたし達は地上百五十メートルの場所で向かい合い、同じ瞬間に笑い出していた。

インナー・ヘヴン』|サマーブライド|05-4

ふたりの女性を中心に進んでいく決してあかるくない話ですが、興味を持っていただけたらぜひ覗いてみてください。

ステキブンゲイ】 【貸し本棚


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