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感情に優劣はないー喜怒哀楽

私が「これ(アサーティブ)は真剣に取り組まなくてはいけない」と思って、今に至るきっかけになったのが、コレだと思います。

喜怒哀楽と聞いたら、喜びと楽しい(あるいはラク)が良い/嬉しい感じで、哀しい/哀しいと怒り/ド!は、避けたいものと区分されることも多いかなと思います。

でも、どれも単に刺激に対する反応で、反応する装置(と敢えて呼びますが、自分という精密機械)によって、何に振り分けられるか、どの大きさで伝わるか、みたいなことには個性があるものだと思います。

さて。私が腹を括る気持ちになったのは、喜怒哀楽の「怒」についてフォーカスしたワークの時でした。
私は、怒りを表す表現があまりにも乏しかった。3分?5分?で、書き出したものを参加者同士でシェアした時、みんなの怒りを表すバリエーションの豊富さに唖然とした。
私は捻り出して1個か2個だったのに・・・

みんなの発表を必死でメモして、怒りボキャ単を作りました。
その中でも、まず使えるようになろうとして*やっとの思いで選んで練習したのは
「ショックでした」と「驚きました」だったと思う。

*ここでは詳細は飛ばしますが、
・アサーティブの超基礎構文(と私が呼んでいる)では「感情」を伝える必要があるので、悲しい/傷ついた、を言える必要がある。
・怒りは、表現が「怒り」だったとしても、その裏に潜んだ感情(満たされなかったニーズ)があるので、それを分かる必要がある。


学習性無力感だ・・・と、その時言葉は知らなかったけれど、背筋の凍る思いがしたのでした。
怒りを味わえないということは・・・悲しいや傷付いた、嫌だった、寂しかった・・・を味わえないということで、「心のカラフルさ」みたいなものが乏しくなってしまうような気がして。
そんな人生、ダメなんじゃないか・・・「彩り豊かな人生」人として生きる、いろんな感覚を味わいたいと思う気持ちが叶わないのではないか、と瞬時に察したような気がします。

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