ここにいるよ2023の感想(ネタバレあり)

※無知で書いているため、表現に誤りがあったらすみません、その時はご指摘お願いします。

めっちゃダラダラ長く書いてます。すみません。お時間のある時にご覧ください。

ざっくりと言うと、好きな人が自分と同性であったことに対して悩む主人公と それを取り巻く周囲の人たち という構図で話は進んでいきました。(あらすじとしてざっくり表現しているので実際は微妙に異なると思います。)

作中では様々なセクシュアリティを持つ人々が登場し、それぞれの立場から各々の意見、考えを主張する場面がありましたが
それがとても勉強になりました。
というのも、私自身は性自認も男性で性的指向も異性愛者なので、いわゆるセクシュアルマイノリティには該当することがなく、それが理由で悩んだ経験もありません。

この劇を観る前の基本的なスタンスとしては「生まれ持ったセクシュアリティがどうなるかなんて、誰にもわからない。だから、生まれ持ったセクシュアリティを理由に差別したり攻撃することはよくない」みたいなスタンスでした。
しかしこのスタンスも、この劇、インタビュー対談を聞いて少し変わりました。

インタビュー対談の中で「いま自分がストレートだと思っている方でも、時の経過でバイセクシュアルに変わる可能性だってある」というお話を聞いて、本当にその通りだなと思いました。(セクシュアリティが、生まれ持ったもので変化することはあまりないという 思い込みが自分の中にあったことを実感しました。)

そもそもこの劇を観に行こうと思ったのは、そもそも以下のような流れがあってのことでした。

***
私は作曲が趣味なのですがその中で作詞もすることがあります。そしてラブソングを作ろうと思ったら、それは必然的に私個人の体験や思考、さらには性的指向に左右されることになります。
私は、あえて区分するならばセクシュアリティ的にはマジョリティにあたる立場なので、それでも特に不自由もなく、作品を公開しても特に叩かれたりしたことはありませんでしたが、
それってどうなんだろうな、とふと思ったのです。
僕のつくる曲を、僕とは異なるセクシュアリティを持った人が聞いたとして、はたして共感したり、理解できるものになっているのだろうか。
たしかに誰も傷つけない表現なんて綺麗事だし、そんな表現に意味はないのかもしれないが、
だからといって、簡単に人を傷つける可能性のある表現を投稿していいものなのか。
***

そんな悩みがあるんだよねー とTwitterに久々に書き込んでいたら、運良く出演者の片田さんに見つけてもらえて、「まさにそういう話を扱うから、ぜひ観てほしい」とのことで、観劇することにしたのでした。

いろいろな気づきがあったので本当に観れて良かったです。

劇中で印象に残っているシーンの一つが「ありのままの私を見てくれれば、それでいい」というものでした。
いや、そうなんだろうけど、それが一番難しいんだよな と思ってしまったのです。
大切な友人などは特に、「その人自身を見ない」というのがとても失礼だと思いますし、だからこそその人自身を見るように心がけてはいます。
でも、どうしても自分の思い込みだったり、固定観念みたいなものがあって、うまくいきません。

劇中で「トランス女性っぽくないよね、ってよく言われるんです。褒め言葉のつもりなんでしょうけど」というセリフがありましたが、申し訳ないことに「これは僕も褒め言葉のつもりで言ってしまうだろうなぁ」と思ってしまいました。
これって結局は「トランス女性」の何かしらのイメージが自分のなかにあって、それと勝手に比較して喋っているわけですけど、とても失礼ですよね。
でも会話していて、こういった言動をゼロにして、思い込み無しバイアス無しにありのままの姿をみて話すこと、それはとても難しいよな と私は思いました。

もう一つ観ていて思ったのは「自分も一つの分類に過ぎない」ということです。
マジョリティだから忘れているということなのかもしれませんが、性的指向も性自認も人の数だけあるわけで、区分というか定義としてマイノリティとかいう言われ方があるだけであって
結局は僕のセクシュアリティも一つの分類にすぎないのだなあ ということを思いました。

個人的意見ですが本来こういう劇を道徳の授業で観てもらうべきではないか?と強く感じました。説教くささもなく、ただひたすらに好きな人のことを想うラブストーリー。わかりやすく見れるし、主人公が無知の状態からセクシュアルマイノリティについて理解していくので勉強にもなる。ラストの切ないシーンなんて、僕は涙腺にグッとこみ上げるものがありましたが、これは主人公の立場、感情を想像していないと感動できないと思います。

観ていない方向けに説明すると、性自認が女性?の主人公が、同じく性自認が女性、かつ性的指向が異性である女性を好きになるんですね。ぶっきらぼうに誤解を含む表現でいうなら、要するに女の子が女の子を恋愛対象として好きになった。という話です。
それでラストのシーンで、主人公のあーこが、本当に恋愛的に大好きな女の子から「あーちゃんと、本当にずっと、一生友達でいたくて。結婚式の日も、大好きな親友としてスピーチをしてもらって、結婚して、子どもができたら家族ぐるみの付き合いをして…」と言われるわけですが… これ、片思いの相手に言われてるんですよ。一生"友達"でいてくれって。こんな残酷なことがありますか。


自分のなかで大きな気づきだと思ったのは、「セクシュアリティはよくわからないものだと思っていたけど、案外シンプルなものかもしれない」ということです。
インタビュー対談のときも、各々立場は違えど、子どもが欲しい人もいれば欲しくない人もいるし、恋愛に発展するきっかけも人によるし、結婚による制度的な恩恵は受けれるなら受けたいし、というのは別にセクシュアリティはあまり関係ないんだなと思いました。当たり前のことではあるのですが。
性自認や性的指向だったり各々の価値観だったりスタンスだったりがそれぞれ違うというだけで、実際はそれぞれ違う前提のうえで同じような話をしてるんですよね。好きな人がかわいいとか、かっこいいとか、もっと仲良くなりたいとか。
なので案外セクシュアリティというものはシンプルなものかもしれない、と思いました。

※いま時点での理解なので間違っているかもしれませんし、そのうちこの考えが変わる可能性もあります。

長文乱文失礼いたしました。
ここまで読んでくださって感謝いたします。
素敵な作品をありがとうございました。

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