2024 太陽の坐る場所 辻村深月 文春文庫 2011年

太陽の坐る場所 辻村深月 文春文庫 2011年

 私たちは狭い水槽のなかの魚だ。
 他と比べるのに一生懸命で、外に海があることに気づかない。

OUTLINE

 高校卒業後、十年の同窓会で、東京に来ているメンバーが集まった。
 数名の男女で、女優になったキョウコが同窓会に一度も来ないこと、キョウコに来てほしいかどうかを語り合う。
 聡美は映画会社に勤める紗江子にキョウコと会うようセッティングされるが、女優になりたかった聡美は劣等感を刺激されるキョウコに会うのは乗り気ではなく――

 高校という、とても狭い水槽のなかで自分と他人を比べ、自分の居場所を確保するために汲々とする人たちの、自分の身を削った努力のお話。
 スクールカーストのどの位置にいるか(女王、女王の取り巻き、彼氏、生け贄など)によって行動を変える人、変えない人。弱い立場の人はカースト上位の人から切り捨てられ、いじめられる。
 十代の一番排他的な青春のとき、特別な感じのする苦さ。そのときの傷を乗り越えて、あるいは乗り越えないで生きていく人たちのひりついた痛みを感じた。

ネタバレ

 叙述トリックとダブルが多い。途中まで女優と響子がイコールであるように話が進み、後で今日子が女優のキョウコで、響子が父の七光りで地元局のキャスターになった響子だというところ、ミステリーではないけれど勉強になる。有名人もふたり、名前の読み方が同じ人も複数いる。映像ではできない。響子とキョウコを似せるか。

 キョウコ=リンちゃん=今日子、とわかって、キョウコ像が女王の響子から名前を奪われた少女とすりかわる瞬間がある。
 キョウコはつねに態度が変わらず、毅然としたところは高校時代と同じで、響子から彼氏を奪い取ってもまた淡々としていたのかもと思う。
 そのあたりのダメージは響子のほうが強く引きずっていて、強烈な光には強烈な影が落ちるのだなと思った。

聡美
 聡美の自分がキョウコの偽物感・劣等感がよくわかる。自分が選ばれた人のはずだったのに、という、女優としてのヒリヒリ感がある。

紗江子
 紗江子も親友やかわいい女の子に劣等感を持っている。その憂さ晴らしのために、外見だけの親友の元彼とつきあい、男の思惑を見透かして絶望するところが痛ましい。
 親友に自分の裏切りをぶちまけて、親友が元彼を殴りに行くところがすばらしくすがすがしい。ここのシーン大好きだ。
 親友の、紗江子の正義感を見ているところ、また紗江子のために怒って行動してくれるところに救われた。

由希
 一番功利的で、自分の弱さに自覚的だと思う。
 でも真崎の紗江子への執着を見破って幻滅するところ、この社会の体制に一番迎合しつつ、その残酷さに無自覚だと思った。
 女性として容姿で判断されることへの鬱屈を皆が持っていて、紗江子はかわいい女性を褒める負け犬ポジ、聡美は自分の美しさへのこだわりを隠すようにしている。
 由希は響子やかっこいい彼氏という勝ち組に乗っかろうとして、そのずるさを島津に見透かされている。他人であれば一目瞭然というところ、他人になると視点が変わるところ、よくある現象だと思う。

島津
 それほどもてない男ポジ。紗江子に似ていて、自分に自信がない人ほど美しい異性にこだわる。まるで恋人が自分のアクセサリーみたいだと思う。紗江子に同属嫌悪を持つのに、容姿だけの由希が好き、そして容姿だけの男が好きな由希に失恋する。
 しかし仕事の堅実さが認められて(自分でもわかっていなくて)、地元へ栄転するところで少し救われた。

響子
 彼氏をにせキョウコ(今日子)に奪われたことがオブラートに包んで語られる。
 今日子に、こんなところにこだわらなくても、と言われ、そういう人間だと認められるところがいさぎよい。
 一番彼氏に囚われていたが、最後で救われる。
 高校時代の高慢さと今の距離感。大人として過去を振り返る苦さを一番感じられる人だった。

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