2024 Ryuichi Sakamoto | Opus 雑感


坂本龍一の唯一のコンサート映画を観た。グランドピアノと演奏者だけの、シンプルなモノクロの映像だった。
ピントが合わない画面、被写体深度の浅さ。人間の目の動きに似ている。意識のフォーカスから外れると、見えていないのと同じになる。

音の減衰のコントロールが美しい。深みと奥行きがあり、CDではあれが平面の音になってしまうだろうなと思った。
メロディ、リズム、音の強弱、媒体は違うが自分とやっていることが同じだと思う。空間に音で深みと奥行きを与える。私は美術家で、それを金属のレリーフで行う。

曲紹介がなく、前半の楽曲を知らないので、純粋に音として捉えられてよかった。戦場のメリークリスマスはやはり密度がすごい。
音色の豊かさ、低音の響きは銅鑼のようで、高音は鐘のようだ。
たえず緑の水墨画のようなイメージが湧く。音から自然の森の深さが感じられる。単色のにじんだインクの水墨画のようだ。しかし墨ではない。
緑だったりブルーグレーだったり、ときに白い大理石の海面のような、スカスカの波の泡、そんなものが見えた。

神様がいないと思うのは、君が自分の外側に神様を求めるからだよ。
君が外側の神様に救ってもらいたいと思うからだ。
君は自分が神として生きられることを思い出さなければならない。

音がひずんで絡まり、一瞬音楽が途切れた。
大塚英志は坂本龍一の音楽は構造主義に影響を受けていると言っていたが、どこがそうなのだろう。
グリッドのなかで音が移動する。モードのような感じか。しかしジャズではない。
それほど早くない一定のリズムで、ジャズのように人を巻き込む悪魔的なグルーブ感はない。

坂本龍一は黄金時代には辿り着けなかった。この時代に一流の芸術家であることがどれだけ大変だったか、いずれ公になるときが来るだろう。
終わっていく時代の芸術家の姿に、厳粛なものを覚えた。

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