2024 ライバルの成功を祈る

こんにちは。白です。
今回は呪いと祈りについてのお話です。
たぶん陰謀論、さんかくの外に出る関係の雑文です。

職場にとても合わない人がいます。私には動物的な勘があるので、合わない人には最初から近寄ることはありません。
が、いっしょに仕事することが多くなってから、その人にずっと文句を言われています。
その人は他の人にもずっと文句を言っています。他の人は黙々と付き合ってあげています。たぶん逆らうのが面倒なのでしょう。
その人からのストレスで感情を害していたのですが、ある日ふと「脳にとってはその人とうちのツインさんの反応って同じなんだろうな」と思いました。
うちのツインさんとは、私の精神の双子さん(と私が思っている人)のことです。
脳にとって、激しい「好き」や「嫌い」はただ「感情が激しく動く」という認識しかされないのだそうです。

外部の反応で感情が激しく動かされるのは、私の本意ではありません。「好き」であれ「嫌い」であれ、感情の暴れ馬に振り回されるのが嫌です。
感情が暴れ馬になっているときは周囲が見えなくなってしまうので、暴れモードをやり過ごしたあとで「これはいったいどういう理由で私のもとへ来ているのだろう」と考えました。

私がその人に悪意を持つと、私に悪意が返ってくるような気がします。それで私の気分が悪くなる。
その人も私に悪意があるとは思いますが、今回は私がことの中心なので問題はそこではありません。
「人を呪わば穴二つ」という言葉があります。人を呪うとその人と自分の墓穴ができるという意味で、「むやみに人に悪意を持ってはいけないよ」という戒めのことわざなのだそうです。
「宇宙=ワンネス」、みんなひとつという考えからすれば、私が誰かを呪うと自分を呪っているのと同じになる。だから呪う相手と私の二つの墓穴ができる。そういうことなのかなと思います。

一流のプロゴルファーは、試合のときにライバルのパットが成功することを祈る、というお話がありました。
その一打で自分の勝敗が決まるのに、その方はライバルのパットが沈むことを祈るのだそうです。
「宇宙=ワンネス」とすると、これは私の話の反対になります。
プロゴルファーはライバルの成功を祈ることが、自分のパットの成功を祈るのと同じだと認識しているのです。

これを踏まえて考えると、私は文句を言うその人の幸せを願わないといけないのです。
自分が出した答えに「えええええ」と私はブツブツ文句を言っていたのですが、幸せを願わないまでも、そういうことに気づかせてくれるためにその人がいるんだな、と心穏やかに思うのは可能かもしれません。たぶんいずれ。
その人くらいなら大丈夫かもしれませんが、相手がDSであっても幸せを願わないといけないのかなとやはりブツブツ文句を言いながら考えます。
DSには、はるか遠くで幸せになってほしいです。幸せの定義が逆なので、私たちの近くで幸せになってほしくはないですね。

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