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母との関係

いつだか、他愛もない友人との会話を録画したことがあった。
そこに映る私の表情、声、全てが自分の思っていた私では無かった。

暗い声、偉そうな発音、やる気のない目つき、能面のような表情

心底びっくりした。
私は今までこんな感じで友人と話していたのか?!

よくこんな偉そうな能面と仲良くしてくれてたなぁと、友人たちを心から尊敬した。

それまでも人との会話には気を遣う方だったが、より一層気になって、
もっとトーンを上げておこう
もっと驚いた顔にしておこう
といろいろ考えるようになってしまった。

そして自分の思っていた以上に私の発言は冷たい響きを纏ってるんだと実感した。
もしかしたら相手を傷つけてしまうかもしれない事を言う時、とても慎重になり、「言わない」という選択をする場面が増えた。

だが相手が母となると話は別だ。


我が家は現在、夫婦2人+子供2人+私の母、の5人で暮らしている。

父の死後、母は1人でブティックを続け、その日暮らすためのお金を稼ぐ生活をしていた。

このままでは倒れるまで週6で働き続けなければならない。

唯一の趣味である麻雀も行きたい時に行けない。

もっと余裕のある生活がどうにかできないものか、と一念発起した。

実家の近くに家を買う選択肢もあったが、なんせ東京23区の人気区だ。
そんな金は無い、と早々に諦めた。

40年近く続けた店をたたみ、狭小マンションの実家は改装して貸すことにした。

場所柄ありがたいことに、借り手はいくらでもいる。

家賃収入があれば、お小遣いがてらのバイトでもしながら趣味の麻雀に時間を費やし、優雅に暮らせると思った。

何より母ももう70目前だ。同じ屋根の下にいてもらった方が色々とやりやすい。

同居する上でまず問題になるのが旦那の存在である。
普通なら義母との完全同居などしたい旦那はいない。

その点では我が家は特別だった。
旦那は特に問題ないとすぐ賛成した。

もともと母と旦那は友達かのように仲が良かった。

麻雀という共通の趣味があり、性格を含め私よりも2人の方が共通点が多かった。

とても仲良しなのだ。

母との完全同居が何よりも不安だったのは、私だ。


母の性格は私とは正反対だ。

母はどんな環境下にあってもすぐ自分のスタイルを確立できる。
良く言えば、誰よりも柔軟性があり、環境の変化が苦にならない鈍感さんだ。
完全なる非HSP、人よりストレスの少ない人生を歩んでいる。

ただそこには
自分で選択するのが面倒くさい=責任を負いたくない
という感情が隠れている。
とにかく人の言う通りにしていれば楽なのだ。

そして思考することを避ける性質がある。
先を見通すことが出来ない。
未来の不安に怯えることがない、現在を生きている。

それ故、来たる問題の解決策を生み出すことも出来ない。

まさに同居の話をした時もそうだった。

完全同居するにあたって、母の意思を尊重したかった私は、メリット・デメリットを伝えた。

・金銭面の心配は無くなる
・自由な時間が増え、今よりも遊びに出掛けられる
・まだ孫が小さいから、完全に自由には動けない
・1人で暮らすよりもやはり拘束することが多い

等々、様々な面を考慮し、最終的にどうしたいかは母自身に決めてもらおうと思ったのだ。

しかし母からの返答には、いつものごとく耳を疑った。

「何でもいいよ♪そっちで決めて♪」

この人は今後の自分の人生が決まる選択でさえも、人に託そうとしているのか?


楽観的という言葉では足りなさすぎる。


私は沸々と迫り上がってくる怒りの感情をなだめきれないまま、忘れかけていたかつての母との関係を思い出していた。


幼少期から母とは気心が合わなかった。

相手の思いや、言葉に出ない感情を読み取る能力がない母にとって、私は難しすぎる子供だったのかもしれない。

なぜ母は分かってくれないのだろう…と度々寂しさを覚え、年齢を重ねるにつれそれは怒りに変わっていった。

どんなに時間を共にしても、私の満足できる返答は返ってこない。

例え口に出して事細かに伝えても意味がない。
次の瞬間には忘れてしまうのだ。

そもそも人に対して興味が無い。

相手を前にして、何を考えているのか知りたい・どう思っているのか知りたい、という意欲が欠落している。

意欲がない限り、伝えてもまさに馬の耳に念仏状態で、こちらが消耗するだけの負け戦だ。

返ってこないボールをひたすら投げ続ける事ほど、悲しい事はない。

そしてもう一つ、今もじわじわと私を蝕む母の言葉。

少し前からマウンティングという言葉を耳にすることが多くなった。
今まで私が感じていた母の心地の悪い言葉、それをマウンティングだと認識し始めたのはごく最近のことだ。

ものすごく小さい事だ。
些細な言葉すぎて、普通なら聞き流す事だ。

特に容姿については、思春期の女子に決して言ってはいけない。
(誰にも言ってはいけない)

そして母は悪びれもせず何十回と同じことを言う。
(現在進行形で言われている)

自己肯定感が低い私にとって、この些細だが定期的に発せられる言葉のせいで、余計に自分が嫌いになっていった。

これには母の育った環境が大いに関係していると、最近になってようやく分かった。

母は4人姉弟で、
姉①・姉②・母・弟
3人目の女の子であり、弟がいる。
1番親から放っておかれていた存在だった。
なんと、怒られたことが一度足りともないらしい。

そもそも人の見た目をやいやい言い合うような家族だったようで、母の中でもそこに意識はなく、普通になってしまったのだ。
特に歳の離れた姉①は、思春期の母に心地の悪い言葉をわざと投げかけるタイプだった。
これがマウンティングだ。

そんな環境を嫌っていた母なので、私に同じことをしているという自覚は全くない。

しかし思春期の私は、確実に母の言葉で何かが蝕まれていった。

そして、私が家を出て独り暮らしを始めた頃

物理的な距離がようやく私を落ち着かせた。


母の嫌な部分を批判し続けているが、母のことが大好きなのは言うまでもない。

分かりやすく愛情表現をしてくれるし、人よりも苦と思うことが少ないので、面倒なお願いなんかも気持ちよく聞いてくれる。

距離ができたおかげで、たまに会う母との会話は心地よかったし、楽しかった。
私が(半ば強引に)お願いすると、よく泊まりに来てくれた。
週6で働いているのに、断られた事は一度もない。

結婚してからも母はよく、1人で遥々泊まりに来てくれた。

私には無い、あのあっけらかんとした太陽のような明るさを欲していたんだと思う。

何にも縛られず、誰にも影響されず、ただ欲望のまま流れに身を任せて生きている母が羨ましかった。

そしてそこから何かを得ようとする、私自身のポジティブな感情を好きになれた。

しかしそんな良い関係も、私の出産を機に突如幕を閉じることとなる。


以前以下の記事でも触れた通り、私は里帰り出産をしなかった。

とはいえ、初めての出産に初めての育児。
慣れるまでは荷が重すぎて、心身ともに沈没していた私は、母に助けを求めた。

母は嫌な顔ひとつせず、土曜の仕事終わりにまた遥々我が家へ来て、翌日の夕方に帰る、という生活を受け入れてくれた。

ただただ抱っこしてくれるだけでも助かる…
と思っていたのに、やはり日を重ねるにつれ不満が出てくる。

なんでミルク作ってくれないんだろう。
なんでオムツ変えようとしてくれないんだろう。
なんで物の場所覚えられないんだろう。
なんで学ぶ意欲が無いんだろう。。
普通の親なら率先してやりたがる事をどうしてやってくれないんだろう。。

母への甘えという名の不満がまた、少しづつ蓄積されていた。

そして次第に私を、ただの偉そうな能面から、刃の如く罵声を浴びせる偉そうな能面へと変化させた。

これが最悪の始まりである。


同居を決めた時から私はずっと不安だった。

母と上手くやっていけるだろうか。

母の引越日が近づくにつれ、不安から逃げるようにモヤモヤと考えるのを辞めた。

そして今、同居を初めて2年半が過ぎた。

この間に、母と大声で罵り合うケンカを2回した。

細かい内容は違えど、2回共同じ理由でお互いに火がついた。

母に対しては、
違う人間が同じ屋根の下で暮らしている状況で、なぜ他の人のことを考えた行動ができないのか
なぜ同じことを何度も何度も聞くのか

私も衝撃を受けたのだが、
母は私の嫌いな食べ物や好きな食べ物をあまり把握していない。

我が子の好き嫌いも分からないのか。

いや、知ろうとしたことが無いのだ。
きっと母は、そんなことに興味がないのだ。

そんな些細なことで愛情を確認している私の方がおかしいのか。

私は毎日毎日少しずつ我慢して蓄積されたうっぷんが爆発した。

母はとにかく、私のものの言い方がキツすぎる、という一点だった。
何をするにも常にイライラと怒ったような態度の、私の機嫌を伺うことに疲れて爆発した。

私たちは原因の改善策やお互いの気持ちを何度となく話し合ってきた。

私はとにかくこの偉そうな能面に関して、本気で向き合わなければならないと気付いた瞬間だった。

イライラを抑え、全力でマイルドに対応できるよう努力する必要がある。
これについては日々気をつけているつもりだ。

そして私が母に求めている事は、たった一つだ。

素直に、全力で私と向き合ってほしい

母と子という以前に、人と人として、しっかり私を見てほしい。

母は真剣な話し合いがどうも苦手で、こちらが真剣に話していても真面目に聞いてくれない事が多々ある。

茶化さず素直に、冷静に話し合える関係でありたいと願うのは無理があるだろうか。

所詮親子といえど他人なのだろうか。

なぜ血の繋がった母との方が悩み事が多くなるのだろうか。


助けを求めると必ず協力してくれる母だ。
そこに発案力は無いが、とにかく言われた通りに文句も言わず行動してくれる母だ。


しっかりと信頼関係を築きたいのだ。

いや、私は母にまだまだ甘えたいのだ。
そしてそれを快く受け入れてほしいのだ。


私の大好きな母なのだから。

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