宙を舞うイカを見たことがあるか


他所の家では味噌汁に出汁を入れるらしい。

そのことを知ったのは、小学校高学年の頃だったか。
祖母の家に泊まり料理を手伝った時、鍋にかつお節を入れているのを見て
「ばあちゃん、それ何してるの?」と聞くと
「味噌汁の出汁だべした。これないと味噌汁うまくないからね」と、祖母が何当たり前のことを聞くのと言わんばかりの笑顔で返す。

衝撃だった。
だからだ、母が作る味噌汁は味がしなかったのは。祖母の作る味噌汁がいつも美味しかったのは。
インスタントの味噌汁が食卓に出ると嬉しかった。

出汁の存在に気づいた当時小学生だった私は、意気揚々と母に祖母から知り得た情報を伝える。
しかし我が家の味噌汁が劇的に美味くなるというわけにはいかなかった。それがなぜなのかをお伝えしたいのだが、母という人物について話し出すと長くなるのでまたの機会に。

私の母は、料理が得意ではない。
苦手意識が強い。「独特の味覚センス、我道、マイルール」母といえば、こんな感じ。

箱に書いてある手順、分量通りに作れないので、麻坊豆腐はいつもサラサラか、「とろみの素」がダマダマになっている。
カレーは水を入れすぎて、
「ルーもう一箱買ってきて」と何度頼まれたことか。

ハンバーグは何度言ってもまわりに小麦粉をまぶして揚げ焼きにしてしまう。そして黒く焦げている。
外食に行くたび思っていた、「なんでうちのハンバーグはいつも、カリカリなんだろう?」

そして母の得意技は、冷蔵庫にあるものぜんぶ、ひとまとめにして炒めてしまうこと。

肉とウインナーとソーセージとちくわと野菜たち。
これらがすべてフライパンに投入され、炒められ、ひとつの大皿にのったときのあの衝撃ったら。

これはこれで、美味しいことは美味しいのだ。

でも、それぞれがそれぞれで主役になったり、他の具材と組み合わせれば一品になるものばかり。だいたい裕福でもない我が家、数日分の献立を作れたはずなのに、どうして全部ひとまとめにして炒めてしまうのか。

そして困ってしまうのが、父のほうが料理上手であることだ。

茹だるような暑さの夏の日だった。
夕方、父がイカの天ぷらを食べたいと、イカを買ってきた。
母が台所でイカの下処理を始めると、よせばいいのに父が横から口を出した。

「イカの皮は〜、イカに切れ目を入れて食べやすく〜」

父は、母の料理に不安を持っている。その日父はきっと、どうしてもイカの天ぷらを食べたかったのだ。本当は自分で作りたかったかもしれない。だけど、我が家には母の機嫌を損ねてはならない暗黙のルールがある。いろんなもどかしさが、父を口うるさくさせたのかもしれない。

ついに、父が「ちょっと貸してごらん」と言わんばかりに手を出そうとしたその瞬間、

母がブチ切れた。イカをぶん投げた。

光と水を浴びてキラキラしたイカ。あの目ん玉がわたしを一瞬見つめた気さえした。ゲソの部分がくねくねと、踊るようにこちらに向かって飛んでくる。

ほんの数秒もしないような出来事だけど、あれは私にとってスローモーションの世界だった。

宙を舞うイカを、あなたは見たことがあるか。


「あなたは何でも細かい!!」
と母は泣いて、

父もとうとう、
「せっかく買ってきたイカがだめになるからだ!」
と怒り爆発。

大喧嘩が始まった。

床の上、猫のごはん置き場あたりにイカが力無く横たわる。

ベランダに続くドアが開いていて、暖簾がひらひら揺れている。
もう夕方だというのに空はまだ明るくて、
その明るさが、すべての悲壮感を際立たせている。

このイカを拾うか拾うまいか…そんなことを考えながら、こちらに飛び火することを避けようと部屋にこもった。

その日は、イカの天ぷらが食卓に上がることはなかった。
なにを食べたかは、覚えていない。

父が定年し、私も実家に同居することになった今、父と私が料理を作っているため、母が料理する機会はめっきり減った。

以前、父に尋ねたことがある。
「母の料理をどう思っているのか、なぜ美味しくなくても残さないのか」

父は、母の作る料理を完食する。美味しい美味しいと言って。
「やっぱり家で食べるお母さんの料理は最高だ、外食よりも、惣菜よりも」とまで言う。隣に座る母の、嬉しそうな顔。

私も妹も、外食のほうが美味しいと思っていたし、惣菜が出てくるほうが嬉しかった。

「買ったきた食材は全部まとめて炒められる、本当はお浸しで食べたいもの、揚げて食べたいもの、味が薄い、濃い、だけど諦めた」

と父は笑っていた。

母の機嫌云々は置いておいて、父は多分、母のことがかわいかったんだと思う。

毎朝父のために早起きして料理を作っていた母。
そして、父の帰りに合わせて夕飯の支度をしていた母。

料理が苦手で、献立を考えるのも苦労していた母の唯一の、
「全部ぶっこんで炒める」という奥義。

全てひっくるめて、父は母のことが愛しいのだと思う。

母の味覚についてもひとつ記しておきたい。
緑茶と牛乳を混ぜたり、ご飯の上にいろんなおかずをのせて混ぜて食べたり、とにかく見てると、何?その組み合わせって、「おえっ」となることが多いのだ。味噌汁に出汁を入れなくても違和感を持たないということでおわかりいただけると思う。

だけど、母の作る卵焼きは美味しい。
丸いフライパンで作る、薄く平べったい、少し油多めの卵焼き。
絶対に、私のほうが母より料理はできる。卵焼きに関しても、出汁巻き、甘いの、なにかの具材と混ぜたもの、数種類つくれるし、普通に美味しいと思う。

なのに、なのに、なのに。
家族全員、母の作る卵焼きのほうが好きだ。
私の子、次男は離乳食を卒業したあたり、目を離した隙に母が朝食に拵えた卵焼きを全部食べてしまった。にっこり笑顔で、おかわりの意思表示までして。

帰省するたびに「ばあばのたまごやき食べたい」とせがみ、
自宅に戻るときには「しばらく食べられなくなるのか…」と嘆く次男。

次男は私の卵焼きより母の卵焼きが好き。
普通恋しくなるのって、実母の卵焼きじゃないの?と悔しくはなったけれど、

私も母の卵焼きのほうが好きだから仕方ない。

特別なことはしていないはず。あの卵焼きに、母は一体どんな魔法?魔術?を使っているのだろうか。だけど、それについては知らなくていいかな。
その謎も調味料のひとつだったりして。

あの夏の日にタイムリープが出来たら。

「お母さんの卵焼き食べたい」

と言えていたら、宙を舞ったイカも少しは浮かばれただろうか。











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