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人はやりたいことしかできない。自由で奔放な“2歳児“の私と向き合うお茶会【イベントのお知らせ】

学校を作るプロジェクトである「ゆっこの部屋」に参加し始めて2年。その場の対話を記録するようになって、1年と少し経ちました。

学校作りを目指して始めたゆっこの部屋は、相変わらず対話が中心です。
進んでいるのか巡っているのかもよく分からなくて不思議な会だけど、最近、自分の中で意識し始めた変化があります。

というのは、この会でよく話題に上がる「自分のことが第一」という考え方について、ようやくわかり始めたなぁと思うのです。

「ゆっこの部屋」の人たちと話していると、自分がどうしたいか、自分がどうありたいかをまず第一に考えるという習慣があることに気づきます。
そもそも、人は基本的に自分のやりたいことしかできない、または、やれることしかできない、という感覚。

いろいろ考えたり相談したりしても結局「まぁ、やれることしかできないよね。」という結論になる。今はすっと腑に落ちるのですが、会に参加し始めた当初は、実はその感覚をよくわかっていませんでした。

やりたいことだけでは生きていけない?

私はずっと、人は自分の「好きなこと」や「やりたいこと」だけでは生きていけないと思っていました。

吹奏楽部から音楽にのめり込んだ中高時代、演奏者としては食べていくの難しいよな・・・と思って、大好きだったにも関わらず音大への進学は調べもしなかったほど。
現実思考といえば聞こえはいいですが、「好きなこと」への諦めはその頃からあったように思います。

その時の私にとって「やりたいこと」は、自分のやるべきこと(勉強や仕事や家事)を全てやった上で、余った余白の時間を使ってやるものでした。
お金を稼いで、家のことをやって、その上でやることがやっと許されるもの。
会に参加し始めた当初、「自分が第一」というキーワードが出るたびに、そうはいってもやるべきことやってるうちに時間なんてなくなるのでは・・・という思いもありました。

「共働きの時代だし、働いて、お金を稼がなければいけない」
「家事をちゃんとして、家族の健康を管理しなければいけない」
「そうしたことを両立できてやっと、やりたいことができる」

今思えば、その当時の「やりたいこと」とは、きびしい条件付きの狭い定義でした。

しかも、それでいて当時の私は「自分にはやりたいことがない」と思っていました。なぜなら、やるべきことを全てクリアする根気と体力と財力が必要で、自分にはそのどれもがないと思っていたのです。
それくらい「やりたいこと」のハードルは高かった。

自由に生きたいのに、やりたいことが見つからない

それでも、他人に自分の価値や生き方を肩にはめられてしまうのは嫌でした。

会社員をやめて、独立を考えた時期もあります。
本好きも相まって、ことあるごとにビジネス書や自己啓発書で「やりたいこと」を分析するのが半分趣味みたいになっていました。

でも、ワークシート的なものを埋めようとしても、やりたいことがないから埋まらない。なんとか無理やり埋めたとしても、「本当にこれでいいのか」「他にもないか」と可能性を探したらきりがなく、しっくりこない。そんなことが続きました。

核心にたどり着いた感覚も得られないまま、やればやるほど疲れていきました。

あるとき、「ゆっこの部屋」で、その時抱えているモヤモヤを言葉にしたことがありました。自分の中でも整理できていなくて、ちゃんと言葉になっていなかったと思います。それでも、私が語る間、参加者の方はずっと話を聞いてくれました。

話終わった後、一言「辛かったね」と言われた時、自分が初めて辛かったことに気づきました。それと同時に、私は自分が辛いと思っていることにも、気づいていなかったのだとわかりました。

そのくらい、将来のことで頭がいっぱいになっていたのだけれど、
「今」の状態が自分を不調にしているという事実に気づく必要がありました。

意識を変える

最近、私が意識し始めたことが2つあります。

・「自分がどう思っているか」を意識する
 義務感とか責任感とかはいったんおいて、自分が目の前のことにどう感じているかを一度意識するように心がけました。違和感があっても通り過ぎている癖がついているので、意外と、意識しないとできないのです。

・「嫌だったら、無理にやらなくてもいい」と知る
 自分がやりたくないとわかったことは、無理にやりません。仮に無視してでもやりつづけようとすると、心の中の小さな私が怒り出します。イヤイヤ期の2歳児みたいに、嫌だと泣いたりわめいたりして(いるように感じて)、抵抗感が増大するにつれやる気がなくなったり、胸が締め付けられたり、進みが遅かったりします。そうしたら、だいたい責任感のある大人の私の敗北が決定。やらないで済む方法を探ります。

例えば、今日はご飯を作りたくないな、と思ったら、仕事帰りの夫にお惣菜の買い出しをお願いする。ご飯を炊くのが面倒だったらパスタにする。
仕事にしても、違和感を感じたことは誰かに聞いてみる。もし納得が行かなければ、別の手法がないか模索する。

私にとっては、嫌なことをやらないと決めるのは、とても覚悟がいりました。

心の中には「自分はできる!やれる!」というポジティブな私も残っていて、あえて怠けに走っている今の私を、心のどこかでまだ許していないなぁという感覚があります。

それでも、無理にやろうとしない習慣を続けると、だんだんと自分がやっていくことの全てに納得していけるようになりました。一度決めさえすれば、それに向かって行動していくことは日常になります。

全部の時間を、やりたいことに使う

今私がしているのは、やりたいことをやる、やりたくないことをやらないという日々のシンプルルールです。
ある日突然思いっきりハンドルを切ったというよりは、淡々と小さく軌道修正して、柔軟でいることを心がけています。

そうしていくうちに、一時は「ない」と思っていたやりたいことが、どんどん出てくるようになりました。

今の「やりたいこと」には、当初思っていたハードルの高さはありません。今の感覚でいう「やりたいこと」は、今まさに私がやっていることの全てです。根気や体力や財力も時にはいるかもしれないけど、全て、やりたいからやってるようにしています。

やりたいこと=好きなこと、だけじゃない。
やりたいこと=趣味の時間、だけじゃない。
やりたいこと=仕事、だけじゃない。

やりたいことは、余白で一部の時間にやるものじゃなくて、
人生の全ての時間でずっとやっていくことなのだと思っています。

お茶会することにしました

私はゆっこの部屋での対話をきっかけに、自分のことについて気づく機会を得ました。おそらく、一人で本を読み続けていても気づけなかったと思います。

でも、日常に追われていると、自分と向き合うこともできないばかりか、誰かとゆっくりおしゃべりする時間もないかもしれません。
今は外でお茶したり、お酒を飲んだりすることもはばかられる時期だから、余計に。

また、ゆっこの部屋で教育をテーマに対話を重ねるうち、子どもが育つうえでまず大人の心配を取り除かなければいけない、というのもよく話題に出ました。
ライフサイクルによって一度仕事から離れたり、家族や子どもが優先になったりしがちな女性は、特に自分の時間が奪われがちです。
自分の時間を持つことで、自分がやりたかったこと、ありたい方向を思い出すきっかけは、女性にこそ必要なのではという思いも膨らみました。

そんなこんなで、私は今回「お茶会」を企画しました。

ここは、お話やコミュニケーションが中心の会です。
なぜかといえば、おしゃべりが、いろいろ考えるのに一番手っ取り早い方法だからです。(本好きの私でも一番おすすめです)
おしゃべりを中心にしたいので、知識を得るようなワークショップではなくて、静かに語ったり、聞いたりするお茶会にしました。
今回は「ゆっこの部屋」でお馴染みのメンバーにもきてもらって、私たちが話している「自分が第一」な感覚についてちょっとシェアできたらと思っています。

今回は、女性限定で。
感染リスクを防ぐために、Zoomを使ったクローズドな場で。
できれば、お気に入りの飲み物やお菓子を片手に。

- 女性なら誰でも。ママ、シングル、ワーキングウーマン、学生でも。
-  仕事よりも家事よりも自分であることを大事にしたい。
- 恐れ、不安よりもわくわくを増やしたい。
- 考えるよりも話したい。
- ただそこにいるだけでもいい。

こんなキーワードにピンときた方、ぜひ、おしゃべりしましょう。

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