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学校に行くべきか、行かざるべきか、それが問題だ 〜地域の学校Vol.16

少し間が空いてしまいましたが、今回は4月に実施した会の報告です。

おばあちゃんのプレッシャー

今回は、子育て世代から「おばあちゃんからのプレッシャー」という共通の話題が上がりました。
先日、学校に行かない選択をしている子に、おばあちゃんが無理矢理学校に行く約束をさせていたことがわかった、とか。親の子育て方針に対して、おばあちゃんからよく「子どもがかわいそう」って言われる、とかいった話が、シェアされました。

よしみさんは、おばあちゃんたちを「学校に行きたくても行けなかった人がいる世代」だと分析します。また、今よりもっと閉鎖的な社会で自分が周囲に認められなかったという事実を、下の世代にも継承させることで、自分を肯定できるのかもしれない、ともいいます。

しかし、社会構造が変わった今では、生き方の選択肢は増えました。あみさんは、「自分の経験は一つの事例だとしか思ってない」といいます。おばあちゃんに限らず、大人として何かを語る時、自分で経験したことはつい他人にも当てはまると思ってしまいがちですが、自分と子どもでは、置かれた環境も考え方も違うのだということは忘れずにおきたいことです。

学校に行かないと〇〇になる?論争

学校に行かない選択をした子どもに対する大人の言葉には、話していく中でいくつか共通点が見つかりました。特に「学校に行く派」の大人の主な主張は、下記のようなものでした。

・勉強ができなくなる
・コミュニケーション能力がつかなくなる
・ろくな人間にならない
・子どもは自分で(適切な選択肢を)選べないから、大人が決めるべき

ここでの勉強とは、主に国語や算数といった教科学習のことです。あみさんは、自分で見たいものを見れば学べるのに、必ずしも決められたカリキュラムに従う必要があるのだろうか、という疑問を投げかけます。また、コミュニケーション能力は、学校に人が大勢いるという理由だけでつくことになっていないだろうか、という話も。

そして、「ろくな人間にならない」という人の言葉の裏には、「学校にいけなくなったら終わり」といった意識も見え隠れします。ただ別の選択肢を選ぶことについて、環境が合わなかっただけかもしれないのに人生終わりにされては、失敗をみとめない社会になってしまう、とゆっこさんはいいます。

特に紛糾したのは、「子どものうちは、大人が選択肢を選ぶ」という意見でした。
先のおばあちゃんたちをはじめ、教育に関わる偉い人の中にも「子どもは選択できない」と主張する人がいます。知識もない、学びが十分でない子どもは、適切な選択肢を選べないから、結局大人が決めなきゃいけない、という考えです。

教員をされているしんじさんは、学校に行きたくても行けない子どもたちが「根拠」に悩んでいる様子をシェアしてくれました。
学校に行く理由も進路を選ぶ理由も、本来はとても単純で、仲良しの友達が行っているからとか、好きだからなはず。でも、そうした簡単な動機では、大人が認めてくれないのだといいます。選ぶのに根拠(複雑な理由)が必要で、それゆえに、行けない理由も行く理由も説明するハードルが高い。学校にいけないことで苦しんでいる子は、考えすぎちゃう子が多いのだそうです。

ゆっこさんは、選ぶときに必用なのは知識と経験ではなく、「好奇心」だといいます。

小さな子でも、自分がどのおもちゃで遊びたいかを選ぶことができます。私たち大人は、ただひたすらその選択を見守ることが必要なのかもしれません。その見守りは、子どもを尊重する、というキノトリの根幹にある姿勢とも共通しています。

ちなみに、学校に来ない子は家でほったらかしにされている場合もあるので、見守りという意味でも学校には顔をだしてほしい、という教員の方の意見もありました。確かに!

会を終えて

初めて会に参加したきよのさんは、参加する前、学校づくりの会と聞いて「参加者はみんな超絶偉い人なのかな?」「私はどういう気持ちでいればいいのかな?」とちょっと不安だったといいます。
教育について語る人は、みんな持論があって、討論が尽きない・・・というイメージは、筆者もなんとなく浮かびます。でもこの会で話すのは、どれも自分たちの身近なところで起こったことが中心です。それでも、この会最後の感想では、かなり深いレベルの気づきがたくさんあったように思います。いくつかシェアします。

・自分が経験してないことって不安。学校に行かないのを不安がる大人も、自分が経験してないからだと思う。
・(教員として)学校の中にいると、教員という同じ道を歩んだ人の話しか聞けないから、立場の違う人が多いこの会に来てよかった。
・学校の中にいると、自分がそう思ってないことも優先しなきゃいけない雰囲気になっちゃう。一人の大人としての自分の違和感も信じて、変なことをやってる子どもも面白がれる姿勢でいたい。
・教育って、今はみんなと同じことができるようになったほうがやりやすい、使いやすい、生きやすいとされているのかもしれないけど、それってどうなんだろう。今、意見してくるおばあちゃんたちも苦しみを感じてるかもしれない。子どもも大人も苦しみを感じてるんだろうな。

身近な気づきから、これだけ深い考察を得られるなんて、以前の筆者は全く知りませんでした。最近は、この「ゆっこの部屋」のメンバーがもつ内省と対話のパワーの凄さを実感しています。次回のミーティングも楽しみです。


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