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2番目に欲しいものを選ぶ人生でした。(今日までは)

先日、会社員としての仕事を辞めました。

移住を機に前職も大好きなオケも離れて、何もやることがなかった3年ほど前、なんとか見つけた会社員の仕事でしたが、いざ辞めてみたらあっさりしたものでした。

辞めた理由。一番大きいのは、これからの生き方を考えたときに、一日中朝から夕方まで机に座り続ける生活を変えたかったから。
それは、まぁこんなもんかと適当に過ごしてきた、いわば「2番目に納得できる生き方」を辞めて、ちゃんと自分としての生計を立てようという意思でもあります。

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私には物心ついた時から、自分の欲しいという気持ちを疑う癖がありました。

雑貨屋に行って欲しいものがあっても、すぐに買わずほかの店も見て回ろうとする。うどんが食べたいと思ってスーパーに行くのに、結局値引きシールが貼られたそばにしちゃう。買い物に限らず、寒くて暖房つけたいなーと思ってもしばらく膝掛けで済ます(多分、面倒くさがりな性格も入っているけど)。
欲しいと思ってもすぐ買わず、安価でかつ必要な条件は満たすものをわざわざ探します。見つかれば、大体その2番目の候補を買います。いわゆる節約です。

大概の場合、節約は良い効果を生むように見えます。でも悪い面もある。
一番悪い効果は、知らず知らずのうちに、「自分が一番欲しいものが手に入らなくなる呪い」を私にかけていたこと。

節約は、自分が何に惹かれたとか、何をしたかったとかよりも、価格や時間とかの定量的なものを重視することです。自分にとって特に重要でなければ、節約もいいですが、そればかりになると、気持ちがだんだんときめかなくなってくる。そしていつの間にか、そもそも自分が欲しいものがわからない状態になってくるんです。

人間は得をするより、損をしないように考えるといいます。
私が2番目を選ぶのは、1番を選んでちがったときのショックを受けたくないからかもしれない。
2番目なら、結果にもこんなもんか、って思えるから。
でも役割ははたしたのだからと、自分を納得させることができるから。

でも、本当にほしいものって忘れられない。
買い物だったら後からわざわざ訪問したり、ネットで買ったりしてその分時間をくうことになる。気づくと売り切れてたりして、気持ち的にも落ち込む。
結局、時間も労力も気持ちもすり減らすくらいなら、本当にほしいものは欲しいと思ったときに買うほうがいいと思うようになりました。

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仕事の話に戻ります。

私は今回の仕事で初めてITという武器を手に入れました。
残念ながらコードを書くのにはハマりませんでしたが、「あらゆるしくみはだれもが作れるし、変えられる」ということは、私はkintoneというシステムに関わる人たちに教わりました。

そこで浮かんできたのは、私は、「次世代にいい仕組みを残して死にたい」という気持ちです。

たたき台だけでもいい。日々の生活に忙殺されずに、自分が生きたいと思う生き方を自分で考えられるような余裕をつくって、学び続けるためのしくみ。

実は私、過去に一度、「次の世代にいいものを残したい」と主張して初対面の人の前で号泣したことがあります。経緯はよく覚えていませんが、相手の方はその時「私はスピリチュアルなことは詳しくないけど、多分前世で何かあったんだよ」と言ってくれました。ただ、その時の気持ちはいまだに思い出します。

今それをするには、まずは自分の生活を「余裕があって、学び続けられる」ものにする必要がありました。
会社にはこれまで、週3日しか働きたくない私のわがままも聞いてもらったし、自由にやらせてもらいました。それを、時間固定で仕事をするのではなく、業務の内容や家事などの生活に応じて働く時間を変える働き方に変えようとしています。近隣でもそういう働き方ができる会社があればいいのですが、目下、フリーランスでしかできなさそうだというのが、私の今の結論でした。

これまでと全然違う生き方をしなきゃいけないことを、正直、めんどくさく思う自分もいます。
自分の選んだものが、思っていたのとちがっても、ショックを受けつつも軌道修正してやり続けなければいけない。会社もないから、失敗しても誰もかばってくれない。誰も慰めてくれない。自己責任だといわれる。そうしたことに暗澹たる気持ちになりながらも、2番目の人生の先には、常に2番目の充実感しかないことももうわかっています。
2番目を選び続ける限り、いつか私はまた号泣して絶望する。
そして、この人生でも何も残せなかったと死んでいくのです。

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ヴィクトール・フランクルは『夜と霧』のなかで、「人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである」といいました。

いま、わたしは一つ大きな選択をして、それがあとあと大きな影響をあたえるだろうなーという感覚だけがあります。

今の感じは、この「人生に生き方を問われている」という感覚なのかもしれません。自ら「やりたい」とガツガツするほどでもないけど、たぶん言われなくてもやるであろうことを、人生にこたえてみるかーという気持ちでやっていく。

ITで学んだしくみのちからと、教育への情熱で、学びたい人たちがその火をけさないで学び続けるような環境に貢献したい。

これからはのんびりなペースを維持しつつも、地道に活動していこうと思います。



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