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塩尻で地域の学校をつくる~地域の学校Vol.1

いま、塩尻で新しい学校をつくろうという動きがあります。
0からつくる、まったく新しい民間の学校です。この学校を、どんな場所にしていくか?
子どもたちのために、どんな授業や、どんな人が必要だろうか?
今まさに、学校のアイデアは広がっている途中です。
このミーティングの内容を中心に、学校をめぐる動きをレポートしていきます。

いきなりですが、「ゆっこの部屋」は今年の4月から月一で開催され、11月で第8回目になりました。はじめは、ゆっこさんが経営する塩尻のカフェ「mingle」に集まる、こぢんまりしたおしゃべり会でしたが、学校をつくると決まってからは、時折広く意見交換することも増えました。

今回の会場となったのは、塩尻市市民交流センターえんぱーく。

市役所の山田崇さんの協力で、「塩尻未来会議」として開催されたこちらのイベントに参加してきました。

コミュニティ・スクールとは

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今回の塩尻未来会議は、塩尻市のコミュニティ・スクールをめぐる課題が出発点となっています。
コミュニティ・スクールとは、文部科学省によって定義された制度のことで、文部科学省のサイトには以下のように説明されています。

コミュニティ・スクールは、学校と保護者や地域の皆さんがともに知恵を出し合い、学校運営に意見を反映させることで、一緒に協働しながら子供たちの豊かな成長を支え「地域とともにある学校づくり」を進める法律(地教行法第47条の6)に基づいた仕組みです。
文部科学省Webサイトより)

塩尻市でもコミュニティスクールについてのページが設けられていて、運営の仕方などが説明されています。

しかしサイトの説明だけでは、何のためにどんな取り組みをしているのか、正直よくわかりません。ゆっこさんは、現在市内のコミュニティ・スクールの運営に携わる「学校支援コーディネーター」として活動されています。そこで、運営の現状を聞いてみると、「実際、関わっている人たちがコミュニティ・スクールについて誰もちゃんと説明ができない」といいます。地域と連携することによって、よい効果も生まれているかもしれないのに、説明できなければ活動は広まりようがありません。

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また、市役所の山田さんによれば、学校支援コーディネーターの多くは、かつて教育に携わった経歴のある「肩書のある人」。ボランティアとはいえ「肩書で」呼ばれていると、自ら志願したわけではないので、主体的な活動にはなりにくいようです。一方でボランティアの語源は「自由意志」。本来の意味を尊重して人を募るなら、自発的に学校にかかわりたい人はもっといるはず…という思いもあるのだといいます。

学校の在り方への研究

今回は、「学校と社会の関係性を考える」がテーマです。

本題についてみんなで話す前に、まずは塩尻西小学校のコミュニティ・スクールで実践研究を行った岐阜大学の西角綾夏さんの発表を聞きました。

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綾夏さんはジョン・デューイの教育思想をもとに、学校を「小型の社会」ととらえて、学校と社会の関係性を考える研究を行っています。その実践の場として選んだ西小のコミュニティ・スクールでは、様々な学びを得たといいます。ボランティアから見た「学校に来るメリット」とは何かについて考え、コミュニティ・スクールを持続することについての難しさを感じた一方、今の子どもが学校以外での経験が圧倒的に不足していることを実感したといいます。

また、綾夏さんが所属する研究室の田中伸先生から、学校で「リアルな社会」を扱うことについての発表もありました。

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いずれの場合も、学校を社会に出る前の「職業訓練の場」としてでなく、「小さな社会」として扱い、訓練よりもコミュニケーションに重きを置いた視点が紹介されました。

p4cとは

発表の後は、参加者にも発言の機会が与えられます。今回はp4cという手法を取りました。p4cとは、Philosophy for childrenの略で、「哲学の活動に子どもたちと一緒に飛び込み、教室の学びを劇的に変える革新的アプローチ」だそうです。

p4cにはいくつか必要な要素があります。

・安心して話せる知的なコミュニティ
・生徒主導の問いかけ
・哲学的思考
・内省

この4つ要素のそれぞれが折り重なって、子ども自身が答えのない問いを自分なりの切り口で語りあう対話が繰り広げられます。今回イベントの参加者は大人でしたが、子どもと同じように輪になって座り、今回のテーマである「学校とは何か」について、ぽつりぽつりと語り始めました。

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学校はどうなっていくか

学校じゃなくても学べたり、学校に行かないという選択肢が増えたりするかもしれない未来の学校では、学校の存在はどうあればよいのでしょうか。

筆者個人として発言したのは、「学校がなくなると、拠り所がなくなるのではないか」という意見でした。同じ県出身とか、同じ血液型とか、私たちは大なり小なりの所属でなんとなく自分をカテゴライズしてきました。しかし、学びが多様化して、学校に行かなくても学べるようになる未来では、学校に行かないという選択をした場合、同じクラスの同級生で思い出を語ることはなくなるでしょう。たとえ学校に行かなくなっても、心の拠り所となる場所はあってほしいと願っています。

これに対して、学校の中にも種類の異なる「居場所」があるという意見もありました。

勉強は嫌いでも、友達に会うのは好き。
教室にはいきたくなくても、保健室にはよく行く。
授業は嫌でも、部活は好き。

さまざまな機能を持つ場所が組み合わさったのが、学校です。

田中先生は、居心地のよい場を示す言葉に「サードプレイス」という言葉を紹介されました。サードプレイスは、アメリカの都市社会学者レイ・オルデンバーグが提唱した、家でも学校や職場でもない「第三の居場所」を示す言葉です。学校がいろんな人にとっての居場所であるために、いつまでもお茶しながらずっとしゃべれるカフェみたいなところがあるといいのでは?という意見も出ました。机や、本や、体育館など、学校の施設はどれも集うためには使いたいものばかり。学校に何か問題があるとしたら使い方の問題なのかもしれません。

会話には現職のお坊さんも参加していました。昔はお寺が地域コミュニティのハブだったことを挙げ、お寺も学校とはまた別のサードプレイスの可能性をもつことを示してくれました。

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対話から生まれるもの

p4cによる対話を終えてみて、改めて対話の魅力に気づきました。

それは、「思いもよらない意見があることを知る」と同時に、「思いもよらないことを自分が考えていたことに気づく」機会でした。

初対面の人が多いと、他の人がどんな人かわからないので、どんな会話になるか予想するのはほぼ不可能です。対話を続けていくと、次に発言する人は前に発言した人から少なからぬ影響を受けます。人の話を「よく聞く」だけで、自分があらかじめ思ってもみなかったことを発言することになります。それは、対話に参加して、考えたからこそ得られた体験でした。

今回は田中先生が問いを深めるための「問い」を出すという役割を買って出てくれました。問いをたくさん立てれば対話もおもしろくなりますが、よい問いを立てるのは難しく、これには慣れも必要なのだと感じました。子ども向けのプログラムだからといって、大人が子どもよりうまくできるとは限らないのです。

イベントには、大学生がたくさん参加していました。彼らは教育について研究しながら、自分ひとりでは今の学校をすべて変えてしまうことはできないとわかっているようです。そんな中でも、どういう学校を自分たちが求めているのか、どうしたら現状を変えていけるかに対して、言葉で一生懸命考え、伝えようとしている学生たちの姿を見て、考えることを辞めてはいけないのだと感じました。

そして、筆者自身は教員でもなし、子どももなし、の1住民です。私にできることは何だろう?と問い続け、参加し続ける日々はまだまだ続きます。

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