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(職場と学校のリーダーシップ開発:その7)リーダーシップ不足が心理的安全性を壊すとき

「キツい」から「学習する」へ

前回もお見せした図だが,4つのゾーンのうち3つが「職場」なのに右上だけが「組織」になっているのは,ピーター・センゲの『学習する組織』へのオマージュである.世界中の経営者を魅了したこの「学習する組織」をどうやったら実現できるのかとさまざまな論者が競って提案した.ITによって組織内の情報を共有すればいいのだという提案や,いや,そんな技術的問題ではなく適応的課題なのだと喝破したハイフェッツや,適応的課題であるとは言っても「不安ボックス」や「隠れたアジェンダ」を本人たちが自覚する支援をしなくては変化できないのだと主張したキーガン&レイヒーはいずれもセンゲの『学習する組織』の実現を意識しているように思える.エイミー・エドモンドソンの心理的安全性もこの方向での新たな貢献であると言えるのではないか.

さて本題に戻ると,キツい職場(左上)から学習する組織(右上)に変えたいときに,リーダーシップの出番はどこか.現状が「キツい」のは必ずしも成果指向が強いからではない.失敗をしてもそこから学習することを通じて(個人だけでなく組織として)成長していけば少し長い目でみれば,VUCAへの対応やイノベーションの創出という成果は上がっていくはずだと考えられるからである(逆に,VUCA耐性やイノベーション促進を必要としないチームであれば,従来どおりのキツい組織であるほうが,必要とする成果があがるという経営判断もありうるだろう).

さて,経営判断として,あるチームを「キツい組織」から「学習する組織」に変えるべしとした場合,新しいことを試して失敗すること自体を非難しないことについてだが,これは今まで誰が非難していたかによるだろう.上位権限者の方針がそうであったか,あるいは同僚同士で失敗を非難しあう習慣があったか,あるいはその両方か.まず,失敗するかもしれないこと(ただし成功すればそのチームの成果になりうると説明できること)を誰かが率先して行って,実際に失敗したときに他の誰かがそれを非難しないことを周囲に,あるいは上位者に呼びかける.次に,失敗したことから何を学んだかを言語化して周囲に共有するよう当人に働きかけ,率先してその学びを活かす・・・ということの地道な繰り返しである.このプロセスの主要部分がリーダーシップ最小3要素(目標共有,率先垂範,相互支援)であることは明白であろう.

ただし2つのことに注意する必要がある.第一に,リーダーシップ最小三要素の第一である目標設定・共有について,設定し共有すべき目標にはレベルが複数ありうるのでその優先順位を取り違えないようにすることである.新しいことを試みるのはなぜか? 新しい方法・新しい結果が見つかるかもしれないからである.失敗を許容するのはなぜか? (従来のように)許容しないと,失敗を避けるために新しいことを試みなくなるからである.失敗のあと学習し学習内容を共有するのはなぜか? 同じ失敗をしないためなのはもちろんだが,学習した結果が別の新しい方法のヒントになるかもしれないからである.それではそもそも新しい方法を試みるのはなぜか? 従来のままではVUCAに適応できないand/orイノベーションが生まれなさそうだからである.これらすべてのうちで最上位の目標は「VUCAに対応するand/orイノベーションを生む」という成果である.「学習する組織になる」はそのための手段である.同様に,心理的安全性も最上位の目標ではなく,「VUCAに対応するand/orイノベーションを生む」ための手段にすぎない.心理的安全性を最上位に置くとたちまち「ユルい職場」になってしまう.キツい組織が持っていた最上位目標(売上目標達成,エラー無し等)が,「VUCA対応and/orイノベーション創出」に変わるのであるが,それぞれの最上位目標を達成しなくてはいけないという成果指向が高いことは維持しなくてはいけない.そうしないとたちまち「ユルい組織」に堕してしまうだろう.

第二に注意すべきことは,「新しいことを試みる」「失敗を許容する」「失敗から学習して共有する」を誰が始めるかである.新しいことや失敗を許容してこなかったのが明らかに権限上位者のみであるなら当人にまず率先して変わってもらう必要がある.自ら率先して失敗談を語り,そのから何を学べるかを言葉にしてもらう.そこに研修が効くこともあるだろうし,失敗談共有会のような企画が有効かもしれない.それでも当人に変わってもらえないなら異動してもらう運動をするか異動までやり過ごすしかない.ただ,権限上位者のみの責任であるケースばかりではないのではないか.例えば前任の管理職がそうであったから新任の管理職もそうであろうと考えて過剰な忖度をしてしまうような場合である.そういう場合がありうることを考えると,最上位の目標について合意できている限り(あるいはそこから始める必要がある場合もあろうが),「新しいことを試みる」「失敗を許容する」「失敗から学習して共有する」ことは,それぞれ誰かの率先垂範と相互支援で始めるしかない.つまり権限の有無に関係なく全員にリーダーシップ発揮機会と責任があるということである.裏返して言えば,リーダーシップ不足こそが心理的安全性を壊し,「学習する組織」を蜃気楼にしてしまうのである.

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