わたしの311
私はあの日会社を休んで静岡の兄の主治医のもとへ向かっていた。
アルツハイマーの母を一人家に残し、衰弱しつつあった父と発作を頻発する兄を車に乗せてである。
施す術のない兄に気休めの言葉といつもの処方箋をもらい実家近くの調剤薬局まで戻って来た時だった。
あの重たいエスティマが揺れた。
その時は強い風が吹いたくらいにしか思わなかったのであるが、薬をもらい帰ってテレビのスイッチを入れて驚愕した。
津波に呑み込まれる町、流される車であった。
阪神大震災の翌日、目の当たりにした潰れた街、倒壊した阪神高速と同じであった。
見てはいけないものを見てしまった、そんな感じだった。
それから私は重たい心のまま、我が家の災害救援本部となり父を看取り、母と兄の終の住処探しに一人東奔西走しなければならなかった。
あの日の私の311は今へ続いているスタート地点である。
被災された方々の大変さは私には想像もつかない、でも最近観るテレビ番組でも、ラジオでも明るい話題が多い。
辛いことは楽しくない、楽しくない事なんか誰もやりたくない。
人間は本来強いものである。
弱かったらどこかで歴史が途切れてしまってる。
いつも思う、大切なのは今を生きることだと。
だから私もここまで生きて来れたのだと思う。
毎年三月十一日が巡ってくると私は初心に帰る。
亡くなったたくさんの方々に生きる力をもらったとも思っている。
今年もまた心身を引き締め、またこの先を生きる決意をする。
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