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他力本願

筆記具をたくさん持っている。
ペンやメモ・ノートの類だけならばセコハンの文房具屋を開けるくらいはあると思う。

以前ここにも書いたことがあるが、私の文房具は神様からの授かり物のお守りのような他力本願の対象なのである。

ゼネコン京都営業所時代、大阪支店の会議や難しい打ち合わせに行く時には京都丸善本店の文房具コーナーで必ず何かを買いポケットに入れていった。
梶井基次郎の『檸檬』の舞台になった丸善京都本店は、私にとっても梶井と同様に儀式の場だったのである。
それは100円のシャープペンシルでもいいのである。
それを心の支えにして困難に耐えることがあった。

京都の地方都市で仕事が決まり、地元業者とのJV(共同企業体)で仕事をするように天から指示が来た。
この天が何なのか話するわけにはいかないが、どんな業界にもこんなことはままあることだろうと思っている。

そして、地元の建設業組合で組合長以下役職員との挨拶、打合せとなり所長と私が行くことになった。
所長は別件で社有車で動き回っており、現地で待ち合わせた。
建設業会館の前で待つが所長は来なかった。
来たのは電話一本、「宮島君よろしく頼む」だったのである。

30代の私は冷や汗を気付かれないように二回り以上も年上の組合役員である地元建設会社の社長たちとJVの詳細を詰めなければならなかった。
どの社長の名刺にも会社名に『組』がつき、私のいたゼネコンも○○組だった。
語気を強めた強面のおじさん達に詰め寄られている私を知らぬ第三者が目撃したら建設工事の金の打ち合わせとは思わなかっただろうと思う。

地元業者を代表する組合の役員達からしたら、挨拶にやって来たのは若造の私一人だけでさぞ気分を悪くしただろうと思う。

翌日、営業所で運転手さんと話をすると、所長は私の経験のために一人にさせたとのことだった。
こんな経験はあまりしたくはないが世の中の仕組みがよく分かる出来事だった。
所長は先に天に手をまわして地元建設業組合が十分満足いく条件を約束していたのである。

この時にも一本のシャープペンシルを丸善で求め、現地に向かったのである。

そんなことのある度に私は丸善に行っていた。
だから、数多い私の文房具にはそれぞれ思い出が残っている。
手に取る度にその時の自分の熱かった気持ちや悔しかった思い出が蘇ってくる。

断捨離を始めているのだが、この文房具の処分には最後の最後まで難航することだろうと思っている。

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