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夢のきおく

夢は毎晩見ているのであろうが、たぶん社会人になってから朝起きて夢を記憶に残していることがあまりない。
大学生の頃によく夢を見ていた。同じような夢を何度か見た。もしかしたら私が以前生きていたその世の記憶なのかと思える夢を見ていた。
私は都会に住んでいた。それが東京であるかどうかは定かではない。時代は今よりもずっと前である。街中を歩くと年配、いや老人たちのなかにはまだ着物を着ている者もいる。そんな時代にも生きていたことがあるような気がする。洋風の建物に住み、広めの裏庭と外部との境には背の高い塀が立っている。レンガ積みの妙に頑丈そうな塀なのである。そしてその向こうには路面電車が行き来しているようであった。その姿は見えず、音だけがその通過を私に知らせてくれた。いつも登場人物は私だけである。塀の向こうをのぞいてみたいのだが誰かにとがめられるわけじゃないのにはばかられる。時折聞こえる路面電車の通過音を耳にしながら建物の中で本を読んでいる。そして、いつも紅茶を飲んでいる。珈琲ではないのだ。紅茶を違和感を感じずに飲んでいる。いつも落ち着いた昼下がり、誰もおらず一人ゆっくり紅茶を飲んでいる。いつまでも時間が止まってしまっているかのようである。そんな時間が嫌いじゃないから平気なのだが、その時間が長すぎると一人だからか不安になる。そして誰もいない建物から抜け出して裏庭に出る。そのまま、まるでコソ泥のように塀に向かうのである。前まで行きそしてまたあたりを伺って塀に飛びつくのである。塀の天端をつかみ身体を引き上げ向こう側の景色が見える瞬間に夢は終わってしまうのである。
今はもう見ることのなくなってしまったその夢を時々思い出す。そして、裏庭の向こうにあった世界が気になるのである。故郷豊橋にも路面電車はあったが、今も走る豊橋の路面電車は広い通りの真ん中を走る。初めて大阪の路面電車を見て驚いた。民家とすれすれを走っていくのだ。夜、終電が無くなるとよく軌道を歩いた。途中阿倍野警察署のそばの屋台のようなタコ焼き屋でタコ焼きを食って、「裏に止まってるベンツは親父さんのかい?」と聞いたら真顔で「そうだ」と言われて驚いた。そしてまたトボトボと歩いて帝塚山の社宅まで帰った。高級住宅街の坂下にはあいりん地区に続く町があった。そんなアンバランスな大阪が不思議であった。でもそれは最初のうちだけ、すぐに大阪の混沌は当たり前になってしまった。学生時代にみた不思議な夢は私の近未来を暗示していたのであろうか。しかし塀の向こうを見たわけではない。と、いうことは私の近未来はまだ大阪で確定ではないのかも知れない。
既視感のようなものを感じる風景と途中で区切られた昔みた夢とが行き来する。
なんだかボンヤリしたピントの合わないモノクロ写真を見ているような私の記憶なのである。

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