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トラの『耳ぽっち』 第十二夜

― 京都営業所の最後の営業マン ―

私は猫のトラ、私の耳だけしか知らないこの男の話、『耳ぽっち』の話である。
今からもう、40年近くも前のことだそうな。
この男、まだまだ暑い九月の初めにあるゼネコンの京都営業所に着任した。
愛想のいいこの男は営業所の先輩方の誰からも可愛がってもらい、すぐに職場には馴染めたらしい。
そんな中にいつも昼からやって来る不思議なお爺さんがいたそうな。

出会った時にすでに70歳だったらしい。
60歳定年のその頃かなり珍しい優秀な営業マンだったそうな。
いつも両切りのピースを吸う、笠智衆に似た優しいお爺さんは妙にこの男を大事にしてくれたという。
聞けばアメリカにいる孫と歳が一緒だったそうである。

この男が常駐した現場は会社が力を入れた設計施工の現場、関西最大手の電器メーカーの研修所だった。
営業担当がこのお爺さん、電器メーカーから依頼を受けて用地から仕込んだ物件だった。
この男、お爺さんの後をついて何度も発注部署であるその電器メーカーの総務部に行っている。
そのたびに大きな応接室に通され、コーヒーを出される待遇は別格だったと言っていた。
その二年後に引退される際にその総務部の社員全員が発注先であるゼネコンの社員に金を出し合って餞別まで用意してくれたらしい。
もう、そんな営業マンはいないと言っていた。

そして、この男とお爺さんには妙な接点があったそうな。
京都に着任した一年ほど前、そのゼネコンの入社面接を東京本社で受けていた。
面接者は当時そのゼネコンを業界で一番にまで引っ張り上げた海外事業の総責任者の専務だった。
眼光のするどい、プライベートの話などするようなタイプではなかったらしいが、この男はこの専務が家では油絵を描き、障害者の息子がいることまで面接中に聞き出したらしい。
そんなやり取りで「面白い男だ」と採用が決まったらしい。

実はこの専務が接点なのである。
この専務と京都営業所のお爺さんとは若い頃同じ現場で働いていたそうである。
それだけでも意外だったとこの男は言っていた。
お爺さんが引退した後も毎月の社報を山科の自宅までこの男は届けに行っていた。
奥さんはリューマチでずっと寝室にいた。
そして、この男は大阪支店の営業に移る前に挨拶に行き、ずっと気になってたことを聞いたそうである。
アメリカで医者をやっているお嬢さんは帰ってこないのかと。

すると、「あれは俺の娘じゃない」と言ったのである。
「もう俺は長くない。もう誰も知った人間はいないから。」そう言いながらその専務の名前を出したそうである。
リューマチの奥さんは専務の愛人だったのである。
その頃、専務は会社の債務超過を作り出した張本人とされて会社を追われ、不遇のうちに亡くなっている。
だから娘は帰る場所も無いと。
リューマチの奥さん、お嬢さんのお母さんの気持ちが気になったが、この男は言葉が出なかったそうな。

『そんな時代だった』で済んでしまうような時代だったのかも知れない。
ほんの半世紀ほど前に日本には○○組という会社名そのままのような強い同族意識を持った会社がたくさんあった。
そして皆で励まし合いながら24時間365日を馬車馬のように働き、会社を大きくし日本経済を支えてきた。
家族とよりも共に過ごす時間の長い社員たちの繋がりは血によるそれよりも強かったとこの男は言った。
でももう二度とそんな時代は来ないだろうとも言った。

そんな中にたくさんの物語があって、これはその一つじゃないかなって、この男は言ってたよ。
私は猫のトラ、人間のこの男の話を聞くだけで本当によかったと思っている。
人間に生まれてこなくて本当によかったと思っている。


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