見出し画像

トラの『耳ぽっち』 第九夜

― 鈴木先輩のローマの休日 ―

この男、社会人になって先輩、後輩、同期生の友人たちがもう10人もこの世からいなくなっている。
そのうち5人は自死である。
付き合いの多い男だから当たり前なのかも知れないが、かなり深く付き合いをしてきた連中ばかりである。
毎回、理解のしようのない後悔や悲哀や憤りが頭と心の中を渦巻いてきたと言っていた。

仕事が忙しくて、しばらく鈴木先輩に会ってなかったのが気になっていた。
その晩は大阪南部の町の町内会館の新築設計の打ち合わせ、晩の9時を回っているのにまだ古い会館の会議室から出れそうにもなかったそうな。
そこにまた電話が入る。

発掘調査会社で世話になった多川君からであった。
この男より一回り以上も若い多川君は自ら会社を興し、発掘調査会社の下請けとして元気に稼ぐ素敵な男だった。

「宮島さん、鈴木さん死んだよ、自殺」
私の顔色が変わっていたのだろう、会議は途中で切り上げてもらい何も言わずにこの男は多川君に会うために一人でミナミに向かった。

大型のジープで乗り付けた多川君と飲み屋に入った。
実は鈴木先輩、ゼネコン時代に強烈な上司に追い込まれてうつ病になって長期休職をしていたことがある。
木下のことを、変わっていく会社のことを気に病み、それがきっかけで再発したようで発掘調査会社を少し前に辞めていた。
その後を若い多川君が面倒をみてくれていた。

家族からも見放されて一人古いアパートで生活していたそうである。
虫の知らせか多川君が部屋を訪ね、無理やり部屋に入ったそうな。
そこには数日過ぎた変わり果てた鈴木先輩が転がっていたそうである。
自分のネクタイを首に巻き自分で締めて息果てていたそうな。
よほどの強い意志がなければ出来ないことと警察官も言っていたという。

その晩は私は枕ではなかった、膝の上に抱えてくれて話を聞いた。
また泣いてたよ。
寂しすぎる、あまりにあっけない人生だと。

この男の部屋には鈴木先輩のイタリアへの視察旅行土産の『真実の口』のピンバッジがなぜか二つ壁に刺さっている。
先輩が役所の発掘調査員たちと視察旅行へ行った土産だ。
まだ、木下もこの男も先輩のいる会社に入ってなかった頃である。
その頃が一番の花の時期だったのであろう。
この男は、自分が会社をかき回したことで鈴木先輩が自死に至ったと思っている。
波風立たせずなすがままに知らない顔をして辞めていたら、こんなことにはならなかっただろうにと。
飲み屋でローマの休日の土産とともに聞いた話、いや、その時の笑顔だけが記憶に残ると言っていた。

木下はこの男から逃げ回った。
働く場所も時間も違いどうすることも出来なかったと私に言った。


いやはや、人としてこの世で生きることは難しそうである。
猫に生まれてきて本当によかったと思う。
人間の気持ちは猫の私には到底理解できそうにない。

でも、鈴木先輩は木下にはこの『真実の口』を渡さなかったのかなぁ。


トラの『耳ぽっち』 第八夜まではこちらからどうぞ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?