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涙のキャベツの千切り 『立ち飲み屋〇(マル)の話』

マルは『立ち飲み屋マル』の女主人、今日の客はまだ近くのビルオーナー杉本と、飛込みで入ってきた若い男の二人きり、店は開けたばかりであった。

🍶下の『ジャガイモをくう』から続いています。

若い男はポタージュスープで身体が温まってきたからだろうか、ポツポツと口を開き始めた。
男は25歳となる。文系の大学を出て建設会社に就職した。寺社仏閣を得意とするその会社の名前はマルも聞いたことがあった。大学では空手部で四年間空手一筋に生きて来た男だった。全国大会まで出たことがありそれなりの自信を持って生きて来たものの社会人になってその鼻っ柱をへし折られたようだった。男の配属先は営業部。悪い意味での百戦錬磨の連中が男を迎え入れてくれた。その中に創業者一族の社長の息子が先輩でいた。この男がガンのようで新入りの営業部員をことごとくイジメにかかり迎合しない奴はとことんイジメ抜いた。うまく立ち回りの出来ないこの男は、社長の息子の息がかりの取り巻きばかりの営業部で苦痛の日々を送っていると言う。

「よくある話じゃないの、辞めてしまいなよそんなクソな会社!」
話を聞きながら気がつけばマルは酒を口にしていた。
「あんた若いんだから辞めて自分らしく生きれる場所を探したらいいのよ!」
でも男は「辞めません」と言う。
子どもの頃から不器用でなかなか友だちは作れず大学の空手部でも苦労はしたものの気の良い先輩、同期達に助けられて卒業も出来て、就職も出来た。そんな会社を簡単に辞めるなんてできなかった。しかし社会と学生生活とはあまりに違っていた。

マルは話の途中から分かっていた。この若い男が社会で生きることに困難を抱えていることが嫌になるほど分かっていた。マルの弟武士タケシと一緒だったのである。マルがこの若い男に最初に感じたのはその匂いだったのである。生きていればこの男のとうも上だろうか、武士タケシも苦労して大学を卒業して就職して職場に馴染めず苦しんでいた。マルは薄々分かってはいたが、そこは男の世界、自身で乗り切ってくれるだろうと思っていた矢先に電車に飛び込み自身の人生を果てさせてしまったのだ。マルはその時自分の理解の足りなさと勉強不足を嫌なほど噛みしめたのである。そんな人間が社会に山ほどいる。昔からいたのである。即戦力を求め、要らぬ駒は平気で切り捨てることの出来る今のこんな日本の、武士タケシは犠牲とも言える一人だったのである。

なんだかこの若い男の話を聞いていたらマルは腹が立って来た。マルの両親たちは団塊の世代の人間だ。今のように物の溢れる世界じゃなかったが、人情や人の気持ちは満ち溢れ、出来ない奴も会社の仲間が一人前になるまで引っ張り上げてくれたと聞く。武士タケシやこの若い男たちもそんな時代であるならば要らない苦労をすること無く普通に生活が出来ただろうに。

マルはいきなり包丁を握りキャベツを刻み出した。これはマルの癖である。腹が立つ時、悲しい時、嬉しい時、感情の起伏が頂点に達した時にキャベツにその感情をぶつけるのである。ザクザクと切ったキャベツの千切りはあっという間にコールスローに変わっていた。
「あんたみたいな男は食って、飲んで忘れなさいよ!」

男はまたチューハイを注文し、またゴクゴクと喉を鳴らしながら飲み、コールスローを口に運んだ。キャベツは細く千切りされ、酢とオリーブオイルがよく馴染みちょうどいい塩加減とキャベツの甘みが合わさって美味かった。キャベツだけでこんな料理が出来るのに驚いた。自分の親でもなければ兄弟姉妹でもない飲み屋の女主人が一生懸命話をしてくれるのに若い男は驚いた。辞めてしまえと言ってくれたことに驚いた。キャベツの甘みを感じながら「俺は誰のために生きているのだろう」今まで考えたこともなかったことを考え始めていた。男はこんな場所で自分の事を話するなどとは思いもしなかった。

この『立ち飲み屋マル』には話をしてしまう雰囲気があり、それを作り出しているマルに若い男は感じるものがあったのである。
泣きながら男はマルの店をあとにした。
またマルの店に客が一人増えた。初めから成り行きを見ていた貸しビルのオーナー杉本は「マルよ、また病気が出たな、」と笑いながら言う手にはビールジョッキから替わった芋焼酎『三岳』の湯割りが握られていた。
店はこれから会社帰りのサラリーマンがやって来る。まだ途中の仕込みを始めたマルは杉本の声に笑顔で返した。その目にためた涙を見ぬふりをして杉本は焼酎の湯割りの二杯目を頼んだ。


【後記】
昭和、平成、令和の時代を生きてきました。昭和60年に社会人になった私はゼネコンに入社しましたが、この若い男は私ではありません。でも、この頃私も一度入った会社を途中で辞めて転職するなど考えたこともありませんでした。多くの仲間も同じ考えだったと思います。年功序列が良い意味で作用していたと思います。給与の高い先輩は後輩の面倒をみました。多少できの悪い私のような半端な人間も一人前に育ててくれました。そんな人を育てる風土のある会社が多かったと思います。でも、パワハラやモラハラ、セクハラはその当時からありました。そして、今ほど発達障害などの理解や支えの必要な人間の存在は知られていませんでした。苦しみ悩み自分で命を絶ってしまった仲間が複数人います。もちろん、私は何も出来なかったことに後悔しています。でもその頃は私も真剣に生きいていく渦中の人でした。決して彼らが私を恨むことは無いと思いますが、今の時代に疑問を感じ「おい、宮島どう考える?」と言っていそうな気がしてなりません。
こんなマルのような女性がいて、飲んで一日の疲れを癒し、振り返れば大したことじゃなかったと思え、夜ゆっくり眠れる、そんな飲み屋があればいいなと思います。
私が行ってみたい、出来れば通いたい飲み屋がこの『立ち飲み屋マル』なのです。



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