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金曜の夕に思うこと

金曜の夕、一駅先まで歩く。
稽古に向かう時間である。
サラリーマンをやめて6年も過ぎるのに、いまだに金曜の夕の開放感が頭のどこかに残っている。
歩く道には公園があり、緑の桜は風に揺れ、シロツメクサは今を自分の天下のように背すじを伸ばし立ち、あのコロナの頃には見かけなかった子ども達が夕陽を背に戯れている。
広い歩道は一見幸せそうに見える犬たちが猫背の飼い主達を引き連れて闊歩する。
帰路を急ぐ男達、スーパーで買い物を済ませて夕餉の支度のために自転車を走らせる女達。
日本中の至る処で見ることの出来るであろう同じ風景。
こんな当たり前の風景に溶け込みたくこの時間のこの道を歩く。
そこには誰もが求める安堵がある。
こんな時間に憧れていたのである。
こんな時間に気付くことの出来なかった長い時間は無駄ではなかったと思う。
それがあったからわかる今の時間。
この実感をわかるのは本人だけかも知れない。
そして長く続けばその感慨は薄れていくのかも知れない。
終わり行く春、生まれ来る夏、今だけの今しか感じることの出来ないこの時間を、私の今だけのこの幸せな時間をしばらくは享受したい。
当たり前のこんな時間を大切に生きたい。

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