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JR西日本 大阪環状線 今宮駅

大阪環状線今宮駅、大阪人でもあまり馴染みの無い駅だと思う。
乗降客はこの大阪環状線19駅のなかで一番少ない駅だという。
この今宮駅はかつて大阪環状線としていくつかの路線がつながり、出来上がる途中で廃駅の案が浮上したという。しかし、地元の猛烈な反対でその案は立ち消えたそうである。
両隣の新今宮駅、芦原橋駅は非常に近いのである。

私は10年ほど前、新今宮駅とこの今宮駅のまあまあ中間ほどに出店した北海道の大型家具屋の設計の営業の担当をした。建設中の現場に行く際に新今宮駅か今宮駅で降りるのだが今宮駅はいつも乗降客はまばらであった。帰りは飲み屋のある新今宮駅から帰った。
本当に記憶に残っていない駅なのである。

天王寺駅からJR難波駅に向かうと、この今宮駅で線路は分岐し次の駅が難波駅である。
過去の記憶ではこの難波駅の方が強く、さまざまな記憶を残している。

今の難波駅はまだ比較的新しい。
OCAT大阪シティエアターミナル(オーキャット)として大阪市が中心の第三セクターとして発足したビルの地下が難波駅なのである。
OCATは関西空港開港直後に関空アクセス拠点として開業した。一時期は関空行きの快速も出ていたが知らないうちに消えて無くなっていた。
あまりパッとしない場所だったのである。
今は関空や全国へのバスターミナルになっている。
舞鶴市内の某新聞社支局建替えの設計時にここからバスに乗った。
乗り換え無く二日酔いの私を舞鶴まで連れて行ってくれ、帰りは難波で一杯飲んで帰れた。

現在地下化されJR大和路線の改札は以前は地上にあった。駅名も当時は『湊町』駅だった。その頃の湊町は今のようにきれいに開発された街ではなかったように記憶する。
当時勤めていたゼネコンの同期生が近くでマンションを買ったと言い、二人で難波で酒を飲み、酔い過ぎたその男を送ろうとしたが湊町駅の前で寝てしまいどうつついても起きないので小雨の降る路上に置いて帰ったことがある。

東大阪で生まれ育ったその男は変わっていた。
生まれて初めての大阪に赴任した新入社員4人のなかで唯一の大阪生まれのその男が「俺についてこい」と言いながら、梅田の地下街で迷子になった。
学生時代は勉強ばかり、それでも首席は無理で次席で地方の国立大学の経済学部を卒業したことが自慢だった。
だからか、車の免許を持っておらず、舞鶴のデカい火力発電所の現場に配属された時に必要に迫られ免許を取り、私に内緒で国際C級のライセンスまで取り、奈良の私の自宅まで白いポルシェに乗ってやって来た。ハゲにポルシェは似合わんなと言ったら怒ってた。
とにかく変な奴だったが、いい奴だった。(過去形だけどまだ生きている。ずっと独身。)

あまり印象に残っていないこの今宮駅、私の見慣れた日常の風景の一部になっている。
これも私の大阪なのである。意識しても何も思い出しはせぬが、多分なくなってしまったら違和感を覚えるようなそんな大阪の風景なのである。

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