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JR西日本 大阪環状線桃谷駅

ただ通過してしまうことの多い駅であった。
大阪警察病院があり、何度か人の見舞いに寄った。

この桃谷駅からも聖公会城南教会は遠くはなく、合気道の稽古をするために桃谷駅から何度か歩いた。商住混在の大阪市内では平均的な町なのではないだろうか。
東京の立教大学、大阪の桃山学院大学、この桃谷にあるプール学院中学校・高等学校はこの聖公会が創設している。
ちなみに大阪の聖バルナバ病院、東京の聖路加病院もこの聖公会の創設である。

この城南教会によく稽古にいっている頃、そこの司祭である合気道の師範に「定年退職してから牧師になりませんか」と誘われたことがある。一年間東京で研修を受けてきてくれればそれでいいからと、とても簡単に言われたことを記憶している。
その頃の私の生き方と真逆のような神のしもべとしてのお仕えは、全く私の選択肢には無かった。

カトリック教会とプロテスタント教会の中間として自らを位置づけるこの聖公会の牧師様たちはとてもおおらかで気のよい方たちばかり、そして一人として酒の弱い方のいない集まりであった。
私がやっていた阿倍野の飲み屋に皆さん揃ってやっていらっしゃる時は本当に明るく楽しい大人の飲み会をされていた。大阪教区の事務所が私の店のから徒歩5分にあった。夜の会議が終わると皆さんで足を運んでくれた。豪快な飲み方、ある時には一番偉い方が酔い潰れそのまま店で倒れたこともあった。妻帯も飲酒も許される教派だとその時教えてもらった。

その城南教会の合気道教室の稽古生で鶴橋寄りの桃谷に住んでいた私より少し年上の気の良い方がいた。
体の大きなその風体、物怖ものおじしないしゃべり方で人から悪く勘違いされやすい方だった。
その方は若い頃インドネシアに居たと言っていた。英語は堪能で私の店の近くの英会話のサークルに時々通い、英語を錆びつかせたくないと言っていた。

続けて過去形で書いているようにその方は急に亡くなった。城南教会の師範から連絡を頂いた。不意の他界だったと師範も言っていた。
不思議だが、いい人から先にあの世に行ってしまう。
お父上の介護をしながら独り身のまま、生業としてやっていた親の代からの額縁屋をやっていた。
私の合気道の免状とムーミンのプリント柄のハンカチを入れた額がその方の生きていた証として家に残っている。

見るたびに思い出す。
いい人から先に行ってしまう。
このムーミンのように今頃雲の上でひと休みされているんだろうな、と桃谷駅を通り過ぎるたびにその方を思いだしている。



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