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2023年4月1日、夕陽を見て感じたこと

四月一日、夕陽を見ながら歩いて思う。特に景勝地でもなければ、緑溢れる土地でもない。でも夕陽の赤さ、美しさに胸を打たれる。大阪でもこんな気持ちになれるなんて思ってもいなかった。
生活に追われ、仕事に追われて帰り道は星もない夜道を歩けば自然と街の赤い灯青い灯に誘われて、いつも夕陽などとは無縁の生活を送った。そして何故だか二日酔いの朝は霞んだオレンジ色の朝焼けだった。

誰もがその時々の脳ってのがあると思う。おかしな言い方をするけれど、仕事にハマれば仕事脳。家族の介護に巻き込まれればいかに切り抜けるかだけの介護脳、それきりしか考えれない脳である。そんな脳と付き合うと人生を無駄に過ごしてしまう場合がある。
そんな時には全く関係の無い何かに費す時間ってのが必要だったんだろうと今になって思う。誰もがそんなに強くはない。切り替えなければ身も心も持たないのである。
そして、そんな脳を切り替えることの出来る何かってすごいと思う。ではそれは何なんだろう。それは一冊の本かも知れない。お気に入りのペンを紙に走らせることかも知れない。大好きなジュエリーを手に取り一人ながめる時かも知れない。それはならぬ大人の恋の妄想でもあってもいいのかも知れない。要はそれ以外、そのもの以外に没頭できる何かであれば何でもいいのである。

そうやって誰もがそんなこんなを一度や二度は乗り越えなければならない。その程度には大小があるかも知れないが、渦中では誰もが苦しむのである。その苦しみを乗り越えるために、少しでも和らげるために没頭できる何かを抱えるべきだったと後悔するのである。

四月一日、朝起きて開けた窓から入り込む春の空気の冷たさは心地よさに変わっていた。もう冬の寒さの影は見つからなかった。季節は上向き、気持ちも高揚していく。この時期のスタートの日本であってよかったとつくづく思う。考えてみれば、この時の気持ちに似ているのかも知れない。そればかりしか考えることのできない脳を変えることが出来るのは。

春はチャンスなのかも知れない。苦しみを苦しみで浄化しようとする考えが日本には古来からある。我慢を美徳とする考えがある。でももうそんな時代でも世の中でもない。人生を無駄に過ごす時間を消し去るためにこの春の空気の中で勘違いすればいい。決して変わることのない天に与えられた人生をこの春が変えてくれると勘違いすればいい。勘違いは朽ちることの無い苦しみの中を這いつくばってきた男や女をその時だけでも幸せにするであろう。

そして、勘違いの時間は自身を客観的に見やる余裕を与えるだろう。そうすれば知らぬうちに耐性も備わる。どうでもいいやと諦めを知ることもできる。だから勘違いでも構わないのだ。

そんな事をやってくれるのが春なのかも知れない。
この時期だけでも忘れたらいい。その時間が必要なのである。この春はすべてをリセットさせるかのように勘違いできる春でいいと思うのである。

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