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筆記具とわたし(その4)

母ハルヱの形見となりました。
もう半世紀以上も前に父が買ってきたものです。
モノを大切にする母でした。
認知症で文章が綴れなくなるまで日記を書いていました。
兄が難治性てんかんと診断されてからずっと書いていたと思います。
母の記録だったんですね、兄の日々の病状を綴る。
大学ノート百冊以上ありました。
そのうちの多くを実家を無くす前に回収してきました。
いつか読もう、と思ってです。
でも読めていません。
母の達筆過ぎる筆記体は私に判読不能が多すぎるのです。
いつも使っていた万年筆ですが、母は手入れが必要なのを知りませんでした。
いつからかカートリッジからインクが流れなくなり、インク壺に直漬けしてペンを滑らしていました。

日記を書くことが出来なくなり、万年筆が行方不明になってしまう前に確保して大阪に連れて来ました。
ペンを分解して湯に漬けて数日間をかけて固まったインクを溶かしました。
そしてやっとペン軸からペン先が離れ、再びペン先を湯に漬けてさらにインクを溶かしました。
時間をかけて復活した万年筆はスムーズに紙の上を走るようになりました。

母がどのような思いでこのペンを握っていたか、想像は出来ますが実際のところはわかりません。
楽しかったことは少なかったと思います。
難治性、不治と宣告されてもそれを受け入れることは出来ず、二度の手術を兄に受けさせ、状況はさらに悪くなるばかりでした。

でも、それが親の愛情なのでしょう。
代われるものなら代わってやりたい、この子の痛さ、辛さは私が受ける、といつも思っていたに違いありません。
子を作り、この世に送り出すってのは並大抵のことではありません。
しかしながら、そこまで考えて生きている人間は少ないでしょう。
苦しいことですが、世に運、不運てのは間違いなくあるようです。

ただ、それをそのまま受け入れて涙で暮らしてはいけないのです。
不運である自身に気づけたことはすでに不運ではないのです。
気付いた時点が底でしょう、あとは登るしかないのです。
人間誰しもバカじゃありません、よりよい未来に向かって努力します。
七転び八起きしながら前進するのです。
私はそれでいいと思っています。

世の中に不幸な人間などいやしません。
自分で決めつけているだけなのです。
明日は明日の風が吹く、前向きゃそのうちいいことあるよ。
と、この母の万年筆が私にいつも語りかけてくれるのです。


『筆記具とわたし』、シリーズは今回で最終です。
たかが筆記具、されど筆記具、日常誰もが使う筆記具であるからこそいろんな思い出が残っていたりします。
いつも私たちの傍らにいて私たちの手からすべてを見聞きしながらすべてがその中に蓄積されているようにも思います。
どんなにデジタルの世界が進もうと筆記具が無くなることはないでしょう。

筆記具ラブ、文房具ラブは私が死ぬまで続くことでしょう、、、

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