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三人の雪女

私はたぶん三人の雪女を知っている。

私の母、松田ハルヱは山形県の農家で生まれた。母が生まれてすぐに母の母、私の祖母は体調を崩して他界している。それでも母は三人の兄、二人の姉を持つ末娘として皆から可愛がられて何不自由なく成長したという。そして、十五歳になるのを待たずして年齢を偽り試験を受けて日本赤十字病院に奉職した。南方で従軍していた長兄に会いたいという一心で父親に内緒で受けた試験に合格してしまったそうである。祖父はお国のためと、泣く泣く母を送り出したそうである。しかし、母は従軍することなく終戦を迎えた。そして母は実家に戻り、家業の農業を手伝い幸せな日々がしばらくの間続いたのである。

長兄は帰らぬ人となり、次兄が家督を継いでいた。祖父は目先の利く人で、母の農業の手伝いは早々に切り上げさせて母へ金と母から預かっていた看護師手帳を渡して「看護師を続けろ。」と東京行の列車に乗せたのである。

母が実家を出たあとに次兄は離婚し、再婚している。村内ではそれなりの規模での農業を営んでいる家で、時代的にも離婚はしにくかったのではないだろうかと思われる。それなのに離婚した。その理由を私は一度も聞いたことはない。後妻の名はヒロエさんといった。気立てがよく、料理が上手で、伯父貴より一回り以上歳は若く農作業も男手と共にこなせる誰からも歓迎される農家の嫁としてはこの上ない女性だった。

私はヒロエさんと一度だけ二人きりで話をしたことがある。認知症となった母を山形まで自動車で連れて行った時である。その時私は高校一年生になる息子を引き取り離婚することを決めていた。それを認知症の母には言い出せずにいたのだ。山形から帰る前日のまだ暑い晩夏の午後にヒロエさんに声をかけられて裏の土蔵まで二人で行った。古い肉厚の土蔵の中は思いのほか冷たくて驚いた。

ヒロエさんは地区の婦人会では料理や漬物の新作を発表するほどの物づくりに熱心な人で土蔵はヒロエさんの漬物の試作室であり、たくさんの漬物と食材の保管場所となっていた。ヒロエさんは暗い土蔵の中で私たちが土産として持ち帰る漬物を選びながら「ひでき君、幸せになりなさい。」と言った。ヒロエさんの唐突な言葉に「えっ、」と答えると「好きな人と幸せになりなさい。」と続けた。母にも言いだせず、ましてこの母の実家ではまだ誰も知らないはずであった。それでも私が黙っていると「離婚するんでしょ、私も再婚だからわかるのよ。」と耳元で囁かれた。それが思いもよらない言葉だったからなのか、背筋が凍りつくような冷たさを感じた。しかし、今まで感じたことの無かったその冷たさは何故かヒロエさんの言葉を温かく感じさせるのだった。

それから三十年ほど時間を遡る。両親と私は東海地方の小都市に住んでいた。母は病院勤務をしていた。看護師長を務めており、たくさんの若い看護師の卵たちの面倒をみていた。仕事の出来る母は病院長に気に入られていたようだ。そして高度成長期でどの業界も若い働き手の確保が大変な中、実家のある山形から看護師の卵たちを毎年連れてきた。母の幼馴染が実業高校の教諭をしており、そのつてで卒業生を集めることが出来たらしい。面倒見のよい母がそんな娘たちを外っておくわけが無かった。非番の日に自宅まで連れてきて飲み食いをさせていた。中学生の私には二十歳前の女性たちはまぶしかった。どの娘も色は白く、東北訛りは可愛らしかった。

そんな中に純子はいた。特に色が白く、透き通るような肌をしていた。そして、驚くほど酒が強かった。未成年の彼女らはみな酒が強かった。その中でも強い純子は酔いが回っても白い肌をしばらく赤く火照らせるだけでまたすぐに白く透明な肌に戻っていった。 

酔っ払った純子に「ひでき君、私をお嫁さんにもらってくれる。」と言われたことがある。耳元での声は背筋が凍るほど冷たくぞくぞくした。本気なのか冗談だったのかはもう確かめようがない。生まれて初めてのそんな甘美な言葉に私は舞い上がり凍るような感覚に襲われただけなのかも知れない。

純子は母のもとで正看の資格を取り、病院での年季奉公を終えて母に別れを告げた。そして嫁に行ったのである。なんと嫁いだ先は山形からは遠く離れた南国の九州であった。一年もしないうちに体調を崩し入院したとの連絡が母のところに舞い込んだ。そののち実家山形に帰って療養したが訃報が届くのに時間はかからなかった。
母は自分の娘のことのように一晩中泣いていた。

ヒロエさんは私が土蔵で声をかけられた一年後に急逝している。真夏の記録的な暑さのなかで原因のわからぬまま病床に臥せりほどなく他界してしまった。

その翌年、私は母と母のかなり進行していたアルツハイマー症も一緒に連れて、最期の里帰りの引率を父から託されていた。私は夏休みに母を自動車に乗せて愛知から山形に向かった。いつもならば東京を抜けて国道4号線を北上したのだが、その時は新潟の母の友人宅に寄り日本海側からの県道を通り山形に入っていった。

新潟との県境にヒロエさんの実家があるから挨拶していってくれと父から言付かっており、カーナビをその住所に合わせて走っていた。生まれて初めてのその山道は緑の中だった。真っ青な空がのぞく濃緑の山道は私に盛夏を感じさせた。その時私は二人きりの時間を過ごしたヒロエさんのことを思い出していた。そして同時に、冬になればその積雪は二階からの出入りを余儀なくされるほどの量ともなるこの土地にどうして人が生活をしなければならないのか考えていた。どう考えても私には不思議だった。しばらく走ると、母が「純子に会っていこうかねぇ。」と言う。驚き、アルツハイマーの母に尋ねるとあの純子だと言う。

なんと純子とヒロエさんは同じ町の出身だったのである。この山中の町の実業高校を純子は卒業していた。ヒロエさんと同じ空気を吸って育っていたのだ。母の頭の中ではあの頃の純子がそのまま生きているようだった。その時すでに離婚していた私に「あんた、純子を嫁にもらったらいいのに。」と母が言った瞬間、開け放していた車窓から冷たい空気が流れ込んできたような気がした。県道沿いに墓地があった。もしかしたらそこに眠っていた純子の吐息だったのかも知れない。

探し当てたヒロエさんの実家は町中から離れた一軒家の農家だった。家の前には深く澄んだ川が流れ、「最近ではイワナ釣りに東京からわざわざやって来るもの好きもいるんだ。」とヒロエさんの弟が言っていた。庭には大きな濃い緑の樹が一本あり赤ちゃんの拳ほどの丸い実をたくさん携えている。なんの樹かを問うと胡桃であった。生まれて初めて見た胡桃の樹であった。長い雪との生活を強いられるこの里の人々の冬の保存食ともなるのであろう。きわめて短い夏の燦燦と降り注ぐ陽は、口にした人に分け与えることの出来る胡桃のエネルギーと変わりその体内に蓄えられるのであろう。ここの胡桃を食べた人は山奥の盆地の猛暑に耐えて寒い寒い冬を乗り越える事の出来る強い力を蓄えるのであろう。

そして、この町の人々の怒も哀も悲も苦も吸い込んだ雪は春になると雪解け水となり胡桃の木を育て二人の身体にも染み込んでいたに違いない。
あの硬い胡桃の樹の家に生まれたヒロエさんも同じあの町で生まれた純子も雪女、いやそんな切ない『雪』の血を引いてこの世に出てきた女性に違いない、とその時思った。

本人たちも気づかないままに『雪』の血を受け継いでこの世に現れた人たちかも知れない。
ヒロエさんも純子もこの町から出てはいけない人だったのかも知れない。
ましてや南国九州など純子が決して足を踏み入れてはいけない土地だったに違いない。

そして、母の口から再び驚く言葉が出てきたのである。
「お前のおばあちゃんはこの町の出身なんだよ。」と。
祖母が母を産み早逝した理由は他にあったのかも知れない。
ヒロエさんの死、純子の死と合わせて三人の最期の理由は私の仮説である。しかしながら、この直感の仮説は人が息も出来ぬほどの深い深い雪に包み込まれるあの町とあまりにも大きな隔たりのある、あの夏の緑濃く水の豊かな土地を見た者にしか理解できないと思う。
神は極端な苦楽をあの土地に住むものだけに与えて来たのではないだろうか。
そしてそこから出て行った者だけにしかその真の苦楽の享受は出来なかったのではないだろうか。
去りし者に与えられる天罰は悔恨とその悲しみのもたらす死のみだったのではないだろうか。

『雪女』とは何者なのであろうか。
伝説で風聞する吹雪の日にそこを通る男に声をかける雪女。
それには理由があるはずである。
雪女である前に『女』であるという理由が。
私は雪女が普通の女性としての幸せや喜びをつかみたかったのだと思う。
ただそれだけを全うするために三人の雪女も長くない生涯を選んだのだと思うのである。

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