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ジャスミン茶から合気道

ジャスミン茶がわりと好きである。
ジャスミン茶との最初の出会いは小学生五年の時、その頃父が長く香港で仕事をしていた。
父が日本に持って帰って来たのである。
急須を使わずに大きな湯呑みに茶葉をジャスミンの花と共に入れて熱湯を注いだ。湯の中で開く花が不思議だった。

父が四十代に入ったばかりの頃である。
父は香港の建設現場にいた。「ジャスミン茶は腐りにくいから、香港の労働者はこのジャスミン茶を炎天下の現場に持って来る。」と言いながら、夜は香港の夜をマネしてビールに氷を入れて飲んでいた。

それから十年も経たずに私は東京で大学生活を送った。
明けても暮れても合気道の大学生活だった。
夏の合宿で私たちには『生水禁止命令』が出た。
その時代はそれで当たり前であった。
今では考えれない筋トレやシゴキがあった。稽古中、練習中に水を飲むなとというのはどこの運動部でも共通だった。
でも、当時の学生はカラダが丈夫だったのかも知れない。学生が熱中症で倒れたり、死んだりというのはあまり聞いたことはなかった。

そうは言うものの、夏合宿中の稽古は辛かった。水を飲めない稽古はもっと辛かった。
一年の時、稽古後の師範の背中を流す役を同期と二人で仰せ付かったことがある。師範が先にあがった後に風呂の水道の水をゴクゴク飲んだのが懐かしい。今ではあり得ない思い出話である。

大阪で合気道を教えるようになってから、合気道部の後輩の女性から『子ども達に合気道の楽しさを教えてあげてください』と言われた。厳しい稽古ばかりで合気道はそんなに好きではないのでは、と勝手に思い込んでいたから嬉しかった。あんな稽古でも合気道を楽しいものだと思ってくれた彼女に感謝する。
そして今、当時の先輩方、故市橋師範に心から感謝する。

これからの稽古で合気道の楽しさ、おもしろさを伝えていく事は私の希望であり、合気道にここまで成長させてもらった私の義務だと思っている。


後日談である。この生水禁止令は市橋師範の耳に入り、当時の四年生は呼びつけられて「あの東京のまずい水を飲んで腹も壊さないお前らがこの白馬の水を飲めんとは白馬の方をバカにするのもいい加減にしろ。」と、生水解禁になったのである。


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