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6月1日久々に旧知と会ったこと

水曜、雑事を片付けた夕方、サラリーマン時代の取引先の男と時間をともにした。
心斎橋、だいぶ客足は戻っているようである。宮崎地鶏の焼き鳥屋には一番乗り、世が更けるとともに店は満席になった。まだ丁寧にマスクをしながら外しながら酒を飲む人間もいるが30分ほどが限界のようである。時間とともに以前と変わらぬ光景が焼き鳥屋のなかにも広がっていった。
この彼とは現役時代よく酒を飲んだ。大阪駅前ビルの地下の飲み屋街によく行った。勢いで何度か国道一号線を渡り、北新地まで行ったが彼の会社の行きつけのクラブで疲れていた彼は眠ってしまい、その後に悪気無くクラブのママが彼の上司に「お客さんと来て寝ちゃったわよ」と言ったからそのあとずいぶん怒られたと言った。わざわざそのクラブまでまた私も連れていかれ怒られていた。まあ、よく飲む男でよく飲む私であったが二人ともこの二年ほどで大きく生活は変わっている。彼は酒を飲まなくなった分、早起きして自分の時間を作っていると言う。家庭菜園の水やりや近所のウォーキングをやっているという。週末は朝4時に起き出してゴルフの打ち放し、ウォーキング、近くに貸し農園も借りて奥さんと野菜作りに精を出していると言う。週末が来るのが楽しみだと言う。私の知っている頃の彼は、金曜日の夜は私か他の男と飲み歩いて、飲み過ぎて土曜日は一日潰れていたと、当時の普通のサラリーマンのする話をしていた。こんなことはコロナの効用と言っていいのではないだろうか。

この水曜の晩は久しぶりであった。いつもより飲んでいると彼は言っていた。私も飲んでいた。気持ちよく飲み、気持ちよく酔い、悪い酔いは感じなかった。
飲む酒の種類や量ではなく、その時の相手や雰囲気、心の状態で翌日の朝のアルコールの残量が変わるのである。
どうも肝臓は心や脳と直結しているようである。
そして、私の肝臓はまだまだ現役で走り続けることが出来そうであった。部長になった彼からこのご時世で難しくなってきた新人教育の悩みやら、親会社から穴の空いたパラシュートで出向させられてくるお客様の上司の話を聞きながらしばしサラリーマン脳に戻って酒を飲んでいた。

しこたまご馳走になってしまった心斎橋を離れ、彼の自宅に近づく京橋に移動、時間はだいぶ遅くなっていたが彼の昇進祝いをしないわけにはいかない。馴染みの飲み屋に閉店時間を確認してカウンターに肩を並べた。以前は当たり前だったそんな空間や時間を客観視できたのが意外だった。まだカラダしか酔っていなかったのである。焼酎をもらいロックに近い水割りで飲む。まだ私より若い彼の会社人生の今後と退職以降の彼の青写真を聞きながら酔いは少しずつ回っていった。
私の心もほんのり赤くなってきた頃、閉店の時間となり支払いを済ませて二人で京橋駅に向かった。
以前ならばまあ、普通の夜であったが、この晩は彼にも私にも久しぶりで特別な良い夜であった。
こんな酒があと何回飲めるのであろうか、酔っ払いたくて飲む時代はとうに過ぎ去った。酒は気持ちよく飲みたいものである。時間を有限と知った今、大切に時間を使いたい。
無為にも思えるこんな時間を大切にしたい。

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