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京阪電車のおもいで

鉄道オタクではない私の、最近乗ることの少なくなった京阪電車との出会いは昭和60年の秋、まだ暑さの残る初秋であった。
社会人になって、東京での研修を終えての赴任先が京都の京阪電車の『藤森』(ふじのもり)という駅が最寄りの営業所であった。

初日、大阪支店のあった京橋駅から京都営業所の事務主任にまるで人買いに買われた子のように手を引かれ京阪電車に乗り、生まれて初めての京都の地に降り立った。
その初めての地、藤森は私がテレビで知る京都とはまったく違う住宅地と商業地が混在したどこにでもありそうな町であった。
私のイメージの京都らしい京都、三条、四条は京阪線をそのまま走ればすぐだった。
しかし電車で行くのは休みに河原町の丸善に行く時くらいでいつもタクシーで祇園まで乗り付けていた。
赴任当夜から八坂神社の前までタクシーで乗りつけた。
そんな時代であり、そんな業界だったのである。

それからずいぶんあと、大阪寄りの奈良に住み、京橋経由で四条まで通勤した時期もあった。
毎朝6時過ぎの近鉄電車に乗り込み鶴橋・京橋で乗り換えて通勤をしていた。
午後10時半くらいが最終電車だった。
毎日酔っ払って帰り、少し寝て二日酔いで京都に向かっていた。

社会人になってそれまでとは違う生活があり、若さもあってその頃の思い出は濃いのかも知れない。
仕事でもプライベートでもいろんなことがあった。
しかし、久しぶりに乗った京阪特急、新しくなった車両に乗っても景色は大きく変わらない。
懐かしさの多い京阪電車である。
そんな中で、私の一番の思い出は地下化されてしまった七条駅以北の京阪線の辺りと同化していた美しさである。
遮断機は各道路の交通障害の元となっていただろうが、地下化前の京阪電車の走る風景を懐かしく思うファンや住民は多いのではないだろうか。
私は四季折々の鴨川沿いに走る京阪電車の風景が好きで対岸の土手に座って缶ビール片手によく眺めたものである。

きれいな空気、美味い水そして何処にも無い心打つ景色、このどれかさえあればいい。
対価を払う必要は無くそこにある、そんなところに死ぬまで気付くことなく生活をする人を妬ましくもあり、心から羨ましく思う今日この頃である。

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