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機械油と金木犀のにおい

秋は香る。久しぶりに降り立った東大阪の地は相変わらずの機械油のにおいに包まれていた。その中に金木犀は決して誰とも争うことはなく年に一度、この時期だけの存在感を私に遠慮することなく訴えてきた。
人と会い、浮き世のごたごたを整理する私に肩肘張ることなく話するよう訴えているようであった。

秋は刺す。秋の陽は乾いた空気がするすると私の頬に強い紫外線を運ぶ。年に一度この時期だけ私の頬に話しかける。
これまで生きて来た長い年月が育ててくれた私の感性そのままで今日の日は伝えて来いと私をうながしてきた。

秋は鳴る。秋の空気は普段聞こえぬ音まで伝えてくる。耳を澄ませてその音を聞く。秋の流れる音を聞くのである。工場街の街路に立つ痩せた樹々を擦りながら流れる秋の空気の音を聞くのである。
いつもそうである。自身の欲得に走るのは簡単である。しかしそれは目先だけのことである。大局を考え、思い話さなければならない時がある。そんなことを思い出させる秋の音かも知れない。

秋は考える。四季を通して24時間は変わらない。でもこの秋は時間が長いように感じる。思索の秋である。あの暑く考えることは涼しくなる秋のことばかり、そんな時間があって、そしてやって来る秋だからいいのだろう。私は考える。考えることが苦でない秋である。

秋は味覚。秋の苦みを口に放り込む。ほんの少し、その時期だけのものが食べれればいい。そんなことも長く生きて来たから考えれるようになったことである。すべては終わり、酒を飲む。酒を飲んで話をする。そして、秋のほろ苦さと会話して熱い酒で胃袋に流し込むのである。

秋は秋。もう終わりに近づいた秋を愉しんでおこうと思う。
二度と来ないこの時間を後悔しないためにも愉しんでおこうと思う。
今年の秋、来年の秋、そしてその翌年の秋、たぶん記憶できると思う。
もうそれくらいしか残されていない秋を記憶しておこうと思う。
毎年この時期、あの年あの秋にはあんなことがあったな。そんなふうに思い出しながら酒が飲めるようにこの先の秋を記憶しておこうと思う。

秋はいい。


秋の味覚🍶

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