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私の今の悩み

今の私はあまり細かいことを気にしないおおらかな人間だと思われている。
でも、実のところはそうでもなく、細かなことを気にする部分もまだ持ち合わせている。自分の事は雑だが、他人の事は丁寧にしたいのである。

合気道の稽古生にいる何人かの高齢者の中に私より10歳上の人生の先輩がいる。よその道場で稽古してきて初段をもらっている。自宅から近いから移りたいと言いやって来た。それまでは職場の近くの道場だったようだ。年齢とともにそこの仕事を引退したため、道場に通うのが大変になったと言った。
長く続けるならばそれももっともだと思い引き受けた。

しかし、稽古を始めるや「えっ、」といった感じだったのである。初段ならば出来て当然の技が出来ない、技を知らない理解してない、合気道そのものの理解が出来ていないのであった。

しかし、ここが合気道の悪いところであるのだが、良くない指導者に当たってしまうと出来ても出来なくても昇級・昇段させてしまうのだ。
まぁ、そんなこともたまにはあるだろうと思い引き受けた。

考え方なのである。
武道を、合気道を極めよう、深く知りたいと道場を訪ねてくる人もいれば、自身の健康のためにとりあえず身体を動かしたいと言う人もいる。
健康重視の高齢の方がマイペースの合気道を長く続けてくれるならばモチベーションとしての初段を出すことに私はやぶさかではない。
だから、そんなタイプの方かと思い、付き合いさせていただいていた。

しかし、半年ほど前に「弐段を取りたい」言い出した。ならばと思いこの年末を目標にして私もその気で指導し、このひと月は若い道場生にマンツーマンで教えさせてきた。でも、まったく自身での努力の姿を見ることは無かった。

電話が来たのが勤労感謝の日、新潟の後輩と京橋で酒を飲んでる最中だった。「前の職場の同僚が稽古している道場に行きたい。他の習い事も始めて忙しくなった。だからやめたい。」、その場は分かりました、と切るよりなかった。
次の稽古日を最後にすると言っていて、その最後の金曜日の稽古の時間はやって来た。
先輩への餞と思い、基本の技を一から説明し、最後のおさらいの稽古とした。
稽古後、別れ際に「お世話になりました。」と私が言うとなんだかモニョモニョ言って帰って行った。
そして移動中に電話があり、気が付かず家に帰るとメールで来週引き続き稽古に来たいと言う。

唐突なやめるやめないの話に私は戸惑っている。あまりの覚えの悪さに実は認知症も疑っていた。その方の人生の一部に関わる事かも知れない。この先、何も無かった事で過ごすべきか今悩んでいる。

私は電話をもらった晩にずいぶん考え、稽古をやめることを受け入れたのである。本人の一度きりの人生の中での大切な時間である。かなりの考えと勇気を持ってやめると言ったのだろうと思っていた。だから引き止めはしなかったのである。

仕方ないがもう少し悩まねばならないようである。
人の心はまったく分からない、という今の私の悩みなのである。

少年部、小三の生意気な彼が私の技を見て言う、「先生、なかなかいけてるな」
彼もある意味、可愛い私の悩みの種である。

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