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成人の日を前におもう

今から41年前の昭和55年に私は成人の日を迎えました。
大学進学を決め、年末に魚市場での仕事をやめて受験に向けて部屋にこもっていたと思います。
成人の日を境に何かが変わるわけではありません。
私の場合は父は仕事で日本にはおらず、兄は静岡で入院生活、母は病院勤務、家族はバラバラでした。
何も変わらない普通の一日でした。

若いその頃は全てに対して背を向けて生きていたように思います。
分不相応のアルバイト代を手にして高いばかりの難解な本を買い、大人の顔をして酒を飲んでいました。
今思い出すと恥ずかしくなる子ども時代でした。
でもそんな経験は私には必要だったと思っています。

まわり道でした。

私の我が儘を許してきた両親に感謝しています。
親が敷いたレール、誰それが敷いたレールとは、あまりプラスイメージにはとらえられないと思いますが最終的に本人が納得できればそれもありだと私は思います。
私の性格を知る両親はそんなことは微塵も考えていなかったようです。
カラダで考えさせたんですね。
時間がかかることを余計なこととは考えなかったようです。
こけて頭を打つことも必要なんだと考えてくれたんだと思います。

新成人の皆さんには生涯に一度の記念日ですが、この日を境に自身の何かを変えていく日なのかも知れません。
成人となるのは法律上でのこと、本当の成人になるために親や第三者の意見を聞く、頭を打ちながら進む、を成人の日を境にしてスタートすればいいんじゃないかと思います。
そして、世の中は一人では生きにくいものであると心の隅に置いてください。
それはあなた自身ばかりでなく、他人も同じです。

時代は変わりました。
皆さんの進む道にも多様性を求められる時代となりつつあるのです。
安泰、安住の地は無いと心して成人して下さい。
自分を強くし、たくましくこれからを生き抜くために、時にはまわり道も必要じゃないかと思います。


こんなことを考えるたびに歳をとった気がします。
また成人の日がやってきます。

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