中秋の名月
中秋の名月がやって来ます。
花より団子の私ですが、団子より月の方がいいですね。
私が子どもの頃、住んでた父の勤務先の社宅にはカーテンがありませんでした。
ひょっとしたら我が家の事情で我が家だけにカーテンがなかったのかも知れません。
子どもの私には昼は陽が燦々と入り、夜は今より綺麗な夜空にたくさんの星を数えることが出来て本当に楽しかったことを記憶しています。
星座も月の顔も覚えたのはこの頃です。
朝晩はやっと涼しくなってきました。
明日、十日の中秋の夜に、まん丸なお月さまを眺めてみませんか。
家族や大事な人を誘ってみてはいかがですか。
お月さまの下での会話は思わぬ話が弾むかも知れません。
私は月面をこの足で踏みしめることよりも、宇宙に漂いこの目で月や地球を眺めてみたいです。
そんな子どもの頃の夢も夢ではなくなってしまった昨今ですが、子ども達には本当の夢をいつまでも持ち続けてもらいたいものです。
しかしながら、想像力の中から生まれて来る夢は年齢とともに、そして現実を知ることで一つ、また一つと消えていきます。
そのうち夢の存在自体を忘れてしまうのかも知れないですね。
でも、それを忘れない持久力を育てたり、思い出すきっかけ作りはある程度私たちが大人が手伝ってやりたいものです。
ネットの検索だけで世の中すべてが分かるのではないことや、ころんで頭をぶつけなければ今なお分からないことがあることも教えてやりたいです。
知ると分かるとは違うということを、それを教えるのは私たちしかいません。
年に一度の月の夜に過ごす時間を子ども達は記憶してくれることでしょう。
その感情は心か頭の隅には必ず残り、この先の人生のどこかの場面で湧き出てくるかも知れません。
月天心貧しき町を通りけり
私の好きな蕪村の句です。
情景を思い浮かべて下さい。
もちろん街灯など無い、月明かりが無ければ漆黒の闇のなか、月明かりを頼りにあなたは一人、人気を感じない町の中を歩いています。
あたりに誰かいるとしたらそれはあなたの影かも知れません。
月は何も言いません。
でも、煌々と地表を照らす月明かりは私たちの心に何かを残してくれるのです。
無口な月はそんな奴です。
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