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つづく雨で思うこと(私の木枯し紋次郎 考)

関西では雨が続いている。
降れば大雨、吹けば大風、台風は巨大化し、地震も頻発する。
いつからこんな日本になったのだろうか。
永い地球の歴史の中では誤差の範囲と言う専門家もいるが、誤差の中に巻き込まれた人たちはたまったもんじゃない。

今回の雨で、また多くの方々が被災されたことに、深くお悔やみとお見舞いを申し上げます。

雨が降らねば困る、雨が降らねばならないことは理解するが、続く雨は好きではない。

こんな時いつも『木枯し紋次郎』のある回を思い出すのである。
やはり自身を変わった人間だと思う。
以前にも書いた『木枯し紋次郎』のある回の、紋次郎の戦いへの準備の考察である。


降り続く長雨で渡し船は出ることは無く、船着き場の宿で皆がイライラして待っている。

広い座敷の中で紋次郎は少ない荷物を傍らに置き、片足だけを立膝に土壁にもたれて黙って座っている。
そして、刀は手放すことなく肩にかけて持っている。
この座り方がすでに戦闘体勢である。

土壁を背にするのは背後から敵を寄せ付けないため。
立て膝で座るのはいつでも動けるように。
正座はもちろんのこと、長く座れば胡坐(あぐら)でも足がしびれる。

このシーンを思い出すだけでも身体中に噴き出していた汗はべたつく脂の被膜となり、ぬぐい取ることの出来ないその気持ちの悪さが伝わってくる。
急ぎであるのに船は出ず、狭い船宿は船の出航を待つイライラした男女ばかり、暑さ、湿気の気持ち悪さ、何かが起こることを紋次郎は予感していたのであろう。

『木枯し紋次郎』は笹沢左保原作のフィクションであることは承知である。
しかし、中村敦夫の演技が合っていたのだろうが、人間臭さを感じてなんとなく架空の人物に思えない。
親しみさえ感じるのである。
この木枯し紋次郎にはくぐって来た修羅場で身に付けたケンカ殺法と普段の身のこなしがある。
「あっしには関係のないことで、、」はすでに防御の心構えである。
船宿で座りながらも交戦状態に備えていることも。

戦い方は実はカッコ悪い、ケンカ殺法はカッコ悪い、でもその生き方にカッコ良さを感じた同世代は少なくないと思う。
「あっしには関係のないことで、、」と言いながら、女、子ども、年寄り、弱い者の味方だった。

長く続く雨の中、必ず一度は私の脳内で動き回る『木枯し紋次郎 考』なのである。

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