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ある日の日記

忙しくて、というよりも考える余裕の無かった七夕の日。
こんな日もあるさ、とうそぶく私がいた。
こんなすべてが血肉になるさ、そう思いながらここまで生きて来た。
でも、それが本当だろうかと思う私もここにいる。

請われて行った会社のオーナーに「あの男だけには経営権を渡すな」そう言ったが、ガンで気弱になっていた女性オーナーはそいつに社長の座を渡した。
私が去って一年後に元気になったオーナーから電話があった。「金を使い込まれたがどうしたらいい?」「すぐに弁護士に相談しなさい」私がそう返してから裁判は始まった。
「帰って来てほしい」と言われたが、私の矜持がそうはさせなかった。
若くて元気の良い社員たちとはいまだに付き合いがある。

「後継者になる義理の息子を育てて欲しい」そう付き合いのあった社長に言われた。一部上場企業の役員時代から付き合いのあったその社長の頼みは断ることは出来なかった。
ともに行動したが箸にも棒にもかからぬ50男だった。「すみません」と言って手を引かせてもらった。
若い社員たちには申し訳なかったが、それが最善だと思った。
見た目だけ若い彼らはそれで満足している。外に出て一から苦労して真の自分をつかむ努力よりも今のぬるま湯に浸ることを望んでいるのだ。
その社長からは別れ際に「野を走る白馬」の絵をもらった。

自分の感性や感覚は人とは違うと散々思わされながら生きて来た。
ならば余計な頼まれ事を聞かなければいいのに、これは自分の性格だといつも反省している。

今回もまた、「なんとかして欲しい」と話を聞いて出かけた先が難物だった。
今は民間企業となった旧公営企業の利権を持ち、そこで商売している会社である。ここでも後継問題である。90に手が届こうかというオーナーがいまだに全てを牛耳っている。その息子のボンクラ社長が死に損ないの親父に言われるがままにクラゲのように日々をさまよっている。そのボンクラの優秀な息子はすでに家を飛び出して帰ってこない。相続の時にだけ登場するのであろう。賢い息子だ。
中に入り、闇を知るにつれて「まだまだこんな会社があるんだな」と、小説の世界の主人公になったようである。旧公営企業には今なお裏金が流れているようである。「知り過ぎる前に退散しなければ」、そんな日常はただただ疲れる。何をする気も起らないのである。

昼間から酒を飲むこともなく、晩にメシを作って食う気力も無く、ただ考える。「何が正か」それだけを考える。
会社のやり方は間違っている。しかしその会社にもぶら下がる社員とその家族たちがいる。若い社員のほとんどは地方の実業高校から言葉は悪いが騙されて連れてこられている。まだ本当の世の中を知らないその子たちが気になる。

でも、私はもう若くはない。そろそろ自分のことだけを考えて生きようかと思う。だれも咎めはしないだろうと思う。
そんなことを考えながらスーパーに出そろった夏野菜たちを家に連れて帰って来た。ひたすら刻んでカレーを作った。台所に立ったのはひと月ぶりだった。
飲み、食い、作りそして食べる。本を読んで手紙を書いて風呂に入って寝る。そして合気道の稽古をする。そんな当たり前の日常に戻らなければならないと思った。
カレーは辛く、でも夏野菜たちは甘かった。

知らなくてもいい苦労や悪かも知れないが、知るなら早いほうがいい。きっとこれから長く生きていくための若い彼らの糧になるに違いない。そう思いスプーンを置いた。
今年初めての夏野菜のミンチカレーは美味かった。

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