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また雨におもう

雨降りでも傘をささずに歩いていた時期があった。
十代、世に背を向けて雨に濡れる私は天に向け吐くツバがその雨に混ざることを知らなかった。
向かう相手すべてを切り捨てたかった何も見えていない時代。
二十代は若かった。
降り来る雨を弾き飛ばすように。
いや、すべてを瞬時に気化させたのかもしれない。
世に腹を立てていた。
平等ならぬ世に腹を立てていた。
だから傘などいらなかったのである。
三十代、勘違いした時期だったかもしれない。
簡単ではない世を見切ったように、すべては自分の力でなんとでもなると甘い子どもの時代だった。
傘などさす奴は男じゃないと思っていた。
四十代、惑わぬ域には達しなかった。
ただひたすら食うために働き、さす傘の存在すら忘れていた。
五十代、天命の意味すら知らなかった。
人がどうして指図できる。
俺は濡れるのが好きなんだ。
さす傘はちゃんと持っているよ。
六十代、心の欲する所に従えども矩を踰えることはないような気がする。
先は長くはないということだろうか。
私の身体をつたい地面に染み込むまでに雨はこんこんと言い聞かせてくれたのである。
すべては雨が教えてくれた。

今やっと聞く耳を持った私は雨音を傘を通して聞いている。

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