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ビー玉と私

私の机の上には数は多くはないが、机上での作業に無用な物が置いてある。
もう何年も動かしてない懐中時計、作りかけのパズル、ネコ柄のぐい呑み、そしてビー玉などがある。

子どもの頃、郷里愛知県の太平洋岸の砂浜でシーグラスを拾った。太平洋ロングビーチに続く豊橋市の海岸には私が行く時間にはいつも誰もいなかった。砂浜の波に足を触れさせながらいつも太平洋の端を踏み歩いた。そこで見つけたシーグラスは、ガラスの破片が波に揉まれて角の落ちたものと気付くのには時間はかからなかった。いろんな色、いろんな形のシーグラスをネスカフェの空き瓶にためていた。それをある時従姉に「欲しい」と言われてやったのである。代わりに何かをくれるというのだが、欲しいものは何も無かった。「じゃあ、お金を」としつこく迫る従姉から逃れたくて従姉の机の上にあったいくつかのビー玉をもらった。もう50年も前のことだ。その従姉は急逝し、もうこの世にいない。従姉の形見となったビー玉も残りは一つだけである。でも一つきりのこのビー玉はいつまでも形は変わらず曇りもない。
そして最近、時々私に話しかけてくる。ひょっとして付喪神つくもがみが憑りついているのかも知れない。

この可愛らしいビー玉はある時から外出時に手離せないものとなっている。便利な世の中になった。ハンズフリーで会話を行う若者が増えてくれたおかげで私がポケットのビー玉と会話をしていても奇異に思う人間はいない。
私は一人でJRで天王寺まで行き、東急ハンズで季節の絵葉書を求め、金額を確かめ支払いを済ませる。コンビニで100円コーヒーを買い、蓋をしてまた歩き始める。「おい、お前はどこに向かっているんだ」ビー玉のタイミング良いその問いかけで我に返ることが出来る。自分が持つバッグに重い稽古用の道着が入っているのに気づき、また我に返る。道場に着き、管理会社の社長とばったり会う、するとまた胸元から「おい、社長だぞ!お前が道場借りてる先の!」「挨拶しろ!」私は事なきを得て管理会社の女性社長に挨拶し、世辞を述べた。道場にはいるとビー玉は口をつぐむ。不思議である、40年も続けているからか、道場に入り道着に着替えると私の身体と私の口は一人でに動き出す。『食べる、寝る、排泄する』のと同様に合気道は私の本能に近いものとなり身に染みついているのかも知れない。


これが私の最近の日常、医師の診断に従いアリセプトを服用し始めて一年が経過する。




これは架空の話です。アルツハイマー型認知症だった母と長年付き合いました。初期段階での母はそれまでの自身と新しい自身との境界を行き来し、ずいぶん苦しんだようです。そばにいて、絶えず声をかけてやりたかったと思いました。それが出来なかった自分を責めた時期もありました。
しかし、私が自身を責めることを母は喜ばなかったでしょう。
今そうビー玉に諭され、目の前にいるビー玉と会話しながらこの文章を書きました。
2022年7月4日 宮島ひでき


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