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万年筆と平常心

高校時代から万年筆を使っている。
その頃は自宅でしか使わなかった。
生意気と思われるのが嫌だったのと、紛失が怖かった。
貰い物も多いが気に入って買った万年筆も多い。
大切なものを失くしたら悲しくなるのは誰もが同じだ。

大学三年の時に大事な一本を紛失している。
魚市場を卒業する時にいただいた祝いの品だった。
万年筆は当時の入学祝いの主流の一つでもあった。
時代を感じる。

パイロットの名入りの万年筆は書きやすく東京でずっと使っていた。
練馬の下宿を出て途中定食屋に寄り授業に急ぎ、教室で気が付いた時には本の表紙に挟んでいた万年筆はなくなっていた。
探しても出てくることはなかった。

社会人になり毎晩飲み歩くようになって危険防止のために万年筆は自宅に置いた。
今の年齢になり羽目を外す酒飲みもほぼなくなり、万年筆を胸にさしていても誰にも生意気だとは言われなくなった。

万年筆がいいのは面倒くささだと思っている。
必要なことをメモする以外、字を書くのはものを考える時である。
私にはその時に万年筆がいいのである。
それぞれの万年筆の個性でインクの乾きを待ちながら字を綴らねばならぬのや、ペン先の乾きを気にしながらキャップをはめたり外したりしなければならないのもある。

でも、この手がかかるのがよく、難しい打ち合わせの時にはよく手のかかる万年筆を胸にしていった。
まずは万年筆を手に気持ちを落ち着ける。
自分のペースでメモしながら、相手に自分のペースに乗ってもらった。

平常心を保つための万年筆もいいものではないかと思っている。
しかしながら文字は読みやすいとは言われるが、個性的な下手くそな字である。
字は子どもの頃に基礎を身に付ける必要があると思う。

私にとって心を落ち着かせる道具は万年筆であるが、これは人によって何でもいいのであろう。

写真は再統一される前のW.Germanyの刻印のペリカンである。
手間はかかるが、重宝な一本である。

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