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ひじきの煮物の冬の夜に

早いものですね。新しい一年が始まりその1/12の一か月の半分がすでに終わろうとしています。またアッという間に一年は過ぎ去り、私は歳を重ねます。

年末年始の食べ過ぎ飲み過ぎで胃も身体も重くなるこんな時期に野菜中心の食事に切り替えます。一汁一菜が最近巷で話題になっているようですが、私は学生時代からそんな食事がブームでした。豆腐や油揚げと冷蔵庫の残り野菜での味噌汁やスープをよく作ってきました。学生時代には金もありませんでしたから。

母ハルヱの料理もそんなのが多かったですよ。小学四年まで生活した父のいた会社の社宅の2DKの狭いキッチンにあった鉄パイプの脚の食卓をよく憶えています。そこで兄と二人、夕食で口にしたのがそんな汁物中心の食事でした。
そのほか出て来るおかずは昔ながらの煮物が多く、たまに出る揚げ物は野菜中心で、時々出るちくわの天ぷらがその頃はまだ嬉しかったです。

仕事を終えて、急いで帰って来た母がよく手を洗っていたのも記憶に深く残っています。看護師として働いていた母からは消毒のアルコールの匂いが漂っていました。そんな匂いは食事の準備とともに薄れていきます。母がエプロンを身に付け食事の支度を始めると兄と二人で食卓につき、母の動きを見ながら料理の出来上がるのを待っていたものです。いつもそんな忙しい母の背中に向かってその日あったことを話ししたものです。「そうなの、そうなの、」と母が忙しい手を止めずに私たちに返事をしてくれたことも憶えています。

その時には何も考えなかったそんな時間がどれほど幸せな時間だったかを今になって分かります。今は金さえ出せばどんな豪華な食事も手に入れ、口にすることは出来ます。
でも、たぶん記憶には残らない食事なんだろうと思います。
過ぎ去ったそんな時間を今とても大切に思い、男の私、今の年齢の私が何かを出来るわけはないのですが、そんな感覚だけでも残せないかと感じてきました。
食の幸せ、食の幸せの記憶を残したいと思ってきました。

そして自分で気付いているのです。食べること、食を生むこと、それにまつわることを書くことが好きなことを。かと言ってそれで誰かを啓蒙したいなんてことはさらさら思いはしません。ただ、そんなことを書くのが好きなのです。
誰かが目にとめてくれて「そうかも知れんな」、「そんなことがあったな」なんて思ってくれればいいと思います。

書くことは記憶の整理になりそれが記憶の再生に繋がることもあります。私の心のどこかにある引き出しにまだ仕舞われている何かを死ぬまでに引き出していきたいのです。
そして、私はその事だけにとらわれて生きているわけではありません。食べていくために仕事をし、やめるわけにいかない合気道を続け、兄の最後も見届けなければなりません。それらの全ても記憶の引き出しを引くための私に課せられた作業なのかも知れません。
そんなことを考えているとやおら私は忙しくなり、おちおち歳を取ったなんて感じている間は無くなり、ボケている間さえ無くなります。

一人そんなことを考えつつ、ひじきと大豆をつつく冬の夜は、やはり日本酒の熱燗だろうと私の全身が騒ぎ出します。

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