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好天にめぐまれて

平日の休みの昨日、図書館まで歩いて行った。
寒くも暑くもなくちょどよい穏やかな空気に包まれて、いつまでもこんな気候が続いてくれればいい、と思った。

同時に、今の年齢くらいでずっと生きていけるのもいいかな、とも考えた。
若い頃のようににガサガサ仕事をすることもなく、好きな仕事だけやって生きて行く、まだ身体はまあまあ動き、大病はなく、精神的に隠居している感じだ。

両親が他界し、看病、介護から解放され、まだ気になる兄は残っているものの、両肩の荷はほぼ降りた。
こんなに気楽になるとは思わなかった。
この十数年の間、毎年この時期になると、暮れと正月はどこでどう過ごすか考えるのが苦痛でたまらなかった。

でも、そんなことがあったから、今、のん気なことを考えることが出来る。
そんなことがあったから、足ることを知り、折り合いを付けることが出来るようになった今がある。

人間誰しも同じであろう。
口に出すか出さないか、必ずや苦悩を陰に抱えている。
辛いのが人生だと思ってここまで来た。
でも違う。
峠を越えれば開けた平坦な道が現れるのである。

四季と同じである。
春ばかり、秋ばかりでは四季は成り立たない。
夏ばかり、冬ばかりでも同様に四季のある一年は成り立たないのである。
人生も同じなのである。

だから、これからまた私の人生には小さな冬がやって来るかもしれない。
でも一度辛さや挫折を乗り越えた経験は、小さな冬など何とも思わないだろう。
歳を取るってのはある意味、そんな逞しさを身に付けていくことじゃないかと思う。

世の中で私ほど不幸な人間はいないと思ったこともあったが、そうじゃなかった。
本当の幸せを知るための過程だったと、今は思える。
そして、それは私ばかりじゃないと思う。

長く生きてりゃ、いいこともあるさ、って思える最近である。

ストレスの無い好天のもとでは、いろんなことを考えすぎてしまう。


晩メシは粕汁とカレイの煮付け、美味い酒を飲んだ。

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