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秋を感じる午後

秋が来た。
空気は乾き空が高い。
駅までポツポツと歩き、考える。

人生において設計図というか、プロットのようなものを私も持っていた。
しかし、アクシデントの連続でそのままは進んでいない。
その都度の軌道修正である。
それが人生ってものなんだろう。
誰もが同じような経験をしながら、その場その場を切り抜けていくのであろう。
そして耐性を身につけていくのであろう。

生きてきたここまでを否定したくはない。
済んだことに愚痴は言いたくはない。
すべてを肥やしにして前を向いて歩きたい。
ただ口で言うのはたやすいが、なかなか根性のいるここまでであった。

五年ほど前飲み屋をやっている時に大学の同期、空手道部主将だった中村君がわざわざ東京から訪ねてくれた。
その時言われた「宮島は合気道やってるから大丈夫だよ」が今まで妙に頭に残る言葉なのである。

好きだから、忘れたくないと思い続けてきた合気道と合気道の仲間に助けてもらい、ここまで来ているから中村君の言ったことは間違いではない。
だから、というわけでもないのだがこれまで培ったことは残さなければならないと思っている。
伝えなければならないと思っている。
やや劣化してきた身体にムチを打ち、これからも稽古に向かう。

残りの人生をまだまだ修正しながらであろうが前を向いて歩いていくつもりである。

週三晩、障害者支援施設で仕事をするようになって足掛け三年になる。
語弊はあるが、これほど精神的な負担無く仕事をしたのは、十八歳で魚市場の仲買の小僧として社会人デビューして初めてのことである。

夜、一人っきりの勤務がほとんどである。
相手は障害を持った若者たちが中心である。
驚くほど自閉症の若者が多い、私に何が出来るわけではない、いつまでも素人の介護士見習いである。
私の息子と変わらぬ子らのそばに寄り添い、生活しやすい空間を作ってやるだけの仕事である。

皆が寝静まった館内は時折、静寂に包まれる。
眠れぬ子等の生み出す声と静寂の繰り返しで朝を迎える。

水曜日の朝、仕事が終わり京都大原野の放置竹林整備NPO事務所まで手伝いに出かけた。
昼までほぼ雑談で時間は過ぎた。
事務所から帰りの田舎道は秋であふれつつあった。
栗の木はたわわと甘い実を貯えたまだ緑色のイガをぶら下げ、田は畔に生える曼珠沙華が金色になりつつある稲とのコントラストを鮮やかにしていた。

騒音の日常生活まで電車で一時間と少し、早い午後に天王寺で昼メシを食べた。
炙った蒸し豚と、タコと分葱のぬた和え、それからビールである。
私はビールの喉越しで季節を感じるのである。
そして、熱燗。

その後フラフラと天王寺駅まで向かい、乗り越すことなく、八尾まで帰った。

ああ、秋が来た。
ここまで秋がやって来た。


すぐに冬はやって来ます


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