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昼餉の時間と母への感謝

当たり前であろうが、サラリーマン時代の平日に料理する時間はありませんでした。
今は家にいる時間が長くなり、一人の時間もかなりあります。ずっと寝ているブウニャンを横目で見ながら一人で昼飯を済ませることも多いです。
美味しそうなジャガイモはポタージュスープにし、ハム入りの玉子焼き、冷蔵庫で出番を待っていた愛知のキャベツのソテーを添えて出来上がりです。
段取り、順番を考え最短で準備します。洗い物は最小限に、そして洗い物をしながらの料理です。

そして、昼餉のあとのコーヒータイム、切り替えた頭でそのあと考え事です。一日の中でのこんな当たり前の時間の存在をわりと最近まで知りませんでした。外で働けば外で食事をするのは当たり前で、会社の同僚や上司、得意先との食事は気が疲れるものでした。新入社員当時から仕事人間でしたので一番早く会社に行き、窓を開けて空気を入れ替えて、皆さんの机を拭き、事務所の玄関前の掃き掃除をして皆さんが仕事をスタート出来る準備をする事を誰に教わることなくやっていました。私の入社した当時の建設会社はそんなのが当り前のひと昔前の雰囲気が残っていました。私はそんな雰囲気が嫌いではありませんでした。そして、いつも事務所に最後まで残りました。事務所の上が寮でした。学生時代の延長のような寮生活は退屈することなく毎日が過ぎました。しかしながら、職場と寮が同じ場所というのは精神衛生上あまり好ましくないかも知れません。私生活が無くなってしまいます。そして営業に移り、24時間365日のような仕事が始まると再び私生活などどこにあるか分かりませんでした。家にはただ寝に帰る、そんな時間が長く続きました。

一度はそんな経験をしなければなんでもない普通の生活のありがたさは分からないのかも知れません。普通の生活の中で決まった時間に食事をとる。そんな当たり前を嬉しく思います。
朝起きて朝飯を食い、昼になったら昼飯を食い、そして晩に少しの酒を飲み、飯を食い、疲れを癒し、シャワーを浴びてあたたかな布団にもぐり込む。そんな普通の生活のありがたさを私は忘れていたようです。だから、こんな昼餉の時間が嬉しいのです。こんな昼餉の時間が今の私には至福の時間なのです。

多くの家庭では一年365日お母さんが中心となって日々の食卓を支え子ども達の心身の健全を育んでくれています。そんなことにも自身が包丁を持ち美味しいものを食べたい、食べさせたいと思うようにならなければ気付くことは出来ませんでした。だから、専業、兼業にとらわれることなくお母さんを尊敬します。こんなことを母が生きているうちに、恍惚の世界に迷い込む前にひと言言ってやれたらどんなに喜んでもらうことが出来ただろうかと思っています。
『孝行をしたい時には親は無し』、上手く表現してるなって最近しみじみ沁みてきます。

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