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「私の人生の軌跡」を、今立ち止まり振り返る

自身のサラリーマン人生を振り返っているが、ここに来てわりと身近なこの20年ほどをどのように振り返るべきか考えあぐねている。
社会人となったのを大学卒業からだとするともうすぐ40年もの時間が過ぎる。

そのなか、30年以上は建設業界にいた。1年間は長靴をはいてスコップを持った。その時には日雇いの労務者のオッチャンたちに混ざり一緒になって汗をかき、同じ部屋でメシも食った。当時はいろんな男たちがいた。少なからずの男たちがいろんな事情を抱えていた。過去のしがらみから逃げてきた奴もいれば、今では許されないが戸籍を博打のために売ってしまって無戸籍なんて奴もいた。本当にいろんな男がいたが、皆、時間中は真剣に仕事をした。

ゼネコンの事務をやり、営業をやり、設計事務所の営業もした。

今でもおかしいと思っているが、発注者や建設業者は設計事務所の人間を「先生」と呼ぶ。設計業界のいろんな人間とも出会ったが、私が認めることの出来る「先生」とは出会うことは無かった。
所詮は皆、「金」である。金のために設計をし、私利私欲のために設計を受注する。営利あっての業界だから、そのやり方は置いておいて、「金」に執着するのは悪いことだとは思わない。
だから、そんな連中を「先生」と呼ぶのは間違っていると思う。代議士を「先生」と呼ぶのと同じくらい恥ずかしいことと思っている。

とりあえず建設業界では設計事務所が上(かみ)であって、土方(どかた)のオッチャンたちの世界が下(しも)であるらしい。
私は建設業界でその上から下まで一通り経験した。
そのなかで、今も輝いた時間だったと思い出すのはスコップを握った時間かも知れない。毎日身体がバラバラになるんじゃないかと思いながら、毎晩全身のなかで、こんな筋肉もつるんだと新しい発見をしながら生きていたあの時間が懐かしい。
生きることは「肉体労働」と勝手に決めつけていた大学入学前の魚市場での本当の人生を送る前の修業時代を思い出して生きていた。

そしてそんな時間には読書にふけることができ、蔵書は増えた。母や友人に手紙やハガキをたくさん書いた時期でもあった。
たくさんの文章の書ける時代だったのである。

それがどうであろう。営業に身を置き仕事を取りに行くことばかりを考えていた時代には本は買っても積み上げるだけ、認知症の母に送るハガキ以外は文章など書く気すら起きなかったのである。
不思議ではあるが、文章を書く、書こうと思う時の私のスイッチはそこらへんにあるようなのである。

スイッチは物事を考え始めるタイミングなのかも知れない。
命懸けの営業をしている時には寝ても仕事の事を考えていた。いつもいつも仕事の事を考えていた。同じことばかり考えていた。
それで文章を書くのは無理なのかも知れない。

話はそれているが、そんな仕事も数をこなすうちに慣れてしまう。早い時期に先が見えてくるのだ。そう、新鮮さを失ってしまう。そうすると今度は違うものが見え出してきてしまう。

外での出会いや外での発見のある出来事ではないのである。大きなグループのなかでのその体質のようなものにぐるぐると巻き込まれてしまう。そこでの悩み苦しむことは仕事を取ってきて報われるような爽やかさは一片たりともない。心を削り売るような、そんな思いしかなかったのである。

そうこう言いつつも「私の人生の軌跡」設計事務所営業マン編は続けなければならず、たった今、頭の中の整理はついたのである。
とりあえずスタートさせようと整理はついたのである。
自身の人生の終いまでに整理しなければならないと思いつつもこれまで逃げて来ていた心の整理を付けたいと思う。


次回より「私の人生の軌跡」設計事務所営業マン編をスタートいたします。

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