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研師(とぎし)ヒデの話「ヒデの聖戦」その6  そして幕は切って落とされる

研師ヒデはまたもや厄介な問題の渦中にいる。
ヒデの持つ何がそうさせるのであろう。それは過去の因果かも知れないが、ただ単にヒデの持つお節介な性格なのかも知れない。

智の爺の待つ京都へ向かう途中、ヒデは昨夜のアパートでの出来事を思い出していた。

知るすべてを打ち明けたいとタケは言い、アパートの地下をヒデと智は案内された。2層の地下は思いのほか清潔であった。照明や換気設備には経年後、手を加えられているようだった。どうしてこんな場所に金をかけるのか二人にはすぐには分からなかった。地下1階には入口近くに教室半分ほどのトレーニング室があった。木刀や杖、真剣らしきものまで壁に掛けられていた。そして隅っこにメイの物であろう、質素なベッドがぽつんとあった。そして奥の部屋にはキッチンと小さなテーブル、3人も掛ければ一杯になるほどの小さな丸いテーブルがあった。ここでメイは15年の歳月を過ごしてきたのであろう。タケとメイとのささやかな幸せな時間はそこで流れたのであろう。そしてもう一人のメイを育てたアジア人の女性も。

それからもう1枚の扉の鍵を開けて地下2階に降りたのである。そこは不思議な匂い、アルコールとなんだか懐かしい匂いがゆるい換気のせいか一面に漂っていた。一番奥の部屋では人の気配がした。聞き慣れない言葉も混ざった女性の声も、そして赤ん坊が泣いていた。そこに入ると5つのベッドに妊婦らしき女性が5人横たわり、1人は自分の子どもであろう、まだ生まれたばかりの乳幼児とともにベッドにいた。
それだけ見せられてヒデと智は部屋から出された。手前が何かの作業部屋らしく、その先には簡素な手術室があった。

その手術室のなかでタケは口を開いた。
「ここで数々の悪行が繰り広げられてきました。多くの女性と多くの子らが死んでいきました」
とんでもない事をタケの口から聞き、智はどういう意味か分からないと言う。
すると続けて出てきた言葉は「製造工場」であった。

ここでは訳ありの女性たちを監禁し、ある者はそのまま、ある者は解体され部位ごとに「出荷」され、そしてある者は種付けさせられて十月十日後にタケの手で取り上げられた子らはしばらく母親の乳を飲み、その子らもそのまま、もしくは解体されて「出荷」されてきたというのである。ゆるい換気が漂わせるのはその母親たちの匂いだったのである。
そして翌日その出荷の日が迫っている。
その出荷責任者、いわば「製造工場」の工場長はタケの息子小泉正彦だったのである。

ヒデはそんなことを反芻しながら智の自宅に向かっていた。
智の爺、西野仁志は応接で待ち構えてくれていた。そこで知ることをすべて話してくれた。
タケに贈与したあのマンションはもともと核シェルターを地下に備えたアパートを西野が持っていた。そのシェルターでそんな常軌を逸したことをしているとは夢にも思っていなかった。

西野は医師であった。大学で解剖学の教授を務めていた。その時に偶然小泉タケの一人息子である小泉正彦が西野のもとにやって来たという。まだ若い学生正彦には初々しさの残る生真面目さの裏に違った顔を持つことを西野はすぐに気がつき、眼を離すことは無かったと言った。
メスを持った時に一瞬見せた狂気の眼を見逃すことが無かったのである。

世に必ずそんな奴はいる。刃物に限らずだ。持たせちゃならない物を持たせたり、立たせちゃならない立場に立たせることで周りにいる人間の運命を変えてしまったり、命を奪ってしまうことがあることをヒデは知っていた。

西野は小泉正彦に「不適格」のレッテルを貼った。プライドの高い正彦は西野のもとから離れ、二度とその姿を見せることは無かった。そしてその正彦がタケの息子だと知ったのはその後だったと言う。
ヒデの話を聞く西野は頭を抱え込んでしまった。
「すべては私の責任だ。小泉を切り捨てたことも、良かれと思ってあのアパートをタケにやったことも」
そして正彦の黒い噂が流れてきていることも話した。

偶然とはたまたま起きることではない。もうずっと前から決まっていたことなのである。それを知ることのできない人間たちはその事実を認めたくはなく、偶然だと言って無理やり納得しているのである。

それは鎌倉時代から人の血を吸ってきた妖刀「団子刺」から聞くいつもの話のようであった。

智の爺、西野仁志は顔を上げて言う。
「これまでのこと、この先に起こることも私に責任がある」
そして、それを償っていこうと思うと言う。
今晩の出荷を何があっても止めて欲しいと西野はヒデに懇願した。

ヒデはここに持参した『八丁念仏団子刺』と『猫姫』を前に置き、
「爺さん、あらためてこの二刀を預からせてくれ。この件に関しちゃあ、俺の血にも少し関係がありそうだ。その小泉正彦って男と俺は昔対決してるみたいなんだ」

これには智も驚きヒデの顔を見た。
「爺さん、驚かんでくれよ。俺は刀と話ができる。こいつらぁ、知らねえことは無いんだ。知らねえ事は子分の落ち武者の地縛霊どもがなんでも調べてきやがる。良いことも、悪いことも」
メイに突かれた脇が疼く昨晩、ヒデはほとんど眠りに就くことができなかった。そんなヒデにめずらしく団子刺が長話をしてくれたのである。

ヒデの曾祖父は若い頃、その役目がこの世から無くなる寸前のほんの一時いっとき、首切り浅右衛門として名を知られた幕府の御様御用おためしごようを務める山田家当主になっていたのである。
いや、なりかけていたのである。
ヒデの曽祖父荒木英心あらきえいしんも刀が好きでたまらなかった。刀好きが高じて刃物研ぎをしながら剣術、居合術、据物斬りを極め、そして一度人を斬ってみたかった。その当時でも刀は武士の腰の飾り物に成り下がり、本当に人を斬ったことのある男はいなかった。そして考え、足を向けたのが山田家だったのである。英心は山田家で修業中に一人の男と出会った。その男が小泉正彦の曽祖父小泉正剛こいずみまさたけだったのである。ヒデの曽祖父よりずっと年上の小泉正剛の目的はヒデの曾祖父と同じであった。しかしその動機が違ったのである。

荒木英心の『斬ってみたい』は言ってみれば若気の至りだった。しかし小泉正剛の『斬る』は快楽、愉悦を極めるためであったのである。
そんな二人はたった一人の当主の座を巡り先代浅右衛門の前で真剣を持って斬り合いをさせられたのである。
代々この山田家の当主になる奴は頭のおかしな連中だったのである。二人と先代だけの秘め事として他言無用でその斬り合いは行われたそうである。

ヒデの曽祖父荒木英心も刀と気持ちが通じ合った。刀を持って小泉正剛と対峙した瞬間に狂気を感じたそうだ。そして英心は剣に身を任せた。狂気の笑みを含んだ正剛の上段からの一振りを受けるかのように見せ、その懐に飛び込み太刀を避け、英心は振り返りざまに剣を返し正剛の両手首を落としていた。

そして荒木英心は山田家当主となり、最後の首切り役になるところだった。でも、そのまま姿を消してしまったそうだ。人を斬ることの意味が分かったんだ。「人を斬る」は人を斬るだけじゃない。人の人生を斬りその運命を変えてしまう。それが「人を斬る」ことと気がついたのである。

英心と正剛のその後は誰も知らない。でも、その曾孫であるヒデと正彦はこうして再び出会う運命にあったのであろう。
ヒデは英心の悟りを血に残し、正彦もまた正剛の増大した狂気を血に残してここまで来たのである。


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