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御母衣ダム 荘川のさくら

この時期が来るといつも思い出す。
母、ハルヱが若かりし頃、その目にしたという岐阜県高山市にある有名な『荘川桜』のことを。
御母衣ダム建設のために移設されたという古老の桜のことは多くの人が知っている。

ダム建設は私たちが日常生活を送るために不可欠なものである。
そして、その建設によって失われるものがある。
建設地に暮らしていた人たちの生活が奪われてしまう。
名もない樹々や動植物、昆虫たちの住み家も奪われてしまう。
私たちの利便のためにそれまであった営みが失われる。
それはそれで仕方ないと、世の大半の利便性を享受する人たちのために認められてしまうのであろう。

今からここに書き留めるのは、このダム建設のために水没する予定であった『荘川桜』の移設の話ではない。
ダム建設には多くの人々が関わる、その中の登場人物の一人、母ハルヱの話である。

ダム建設には大きく二つの目的がある。
治山・治水のためと利水のためである。
大雨による土砂災害・洪水の被害を防ぐ目的のダム、農業用水や発電を行う目的のダムである。

この御母衣ダムは発電のためのダムである。
通常ダム建設には長い時間がかかる。
計画から工事、竣工まで10年、20年、もっとかかるものもある。
だから、建設会社の土木職員の中のダム屋には40年ほどの会社人生の中で数個のダム建設しか経験しないものもいる。

余談ではあるが、建設会社の技術職員は大きく建築、土木で分けられる。
そして土木職員は、ダム、橋梁、トンネル、造成などの専門分野に分かれる。
どの工事も建築と比べると工事期間は長い、その中でもダム建設の工事期間は長い。

長い建設期間のなか、多くの労働者が従事し、多くの関係者がダム建設を支えた。
母ハルヱは看護師としてこの御母衣ダム建設工事の診療所に勤務したのである。

終戦後、長野県上諏訪の海軍病院からハルヱは実家の山形県南陽市赤湯に帰った。
そして家業である農業の手伝いを数年間していたそうである。
この二十代での数年が母ハルヱの人生における春爛漫の時期だったのであろう。
しかし、高度成長期の迫りくる音を聞き逃さなかった祖父三次郎はいつまでも家業の手伝いをする母の背を押して東京に行かせた。
ハルヱは、つてを頼り入った大学病院で御母衣ダムの現場の診療所勤務を命じられたのである。


続きはまた明日にします。
樹齢五百年という荘川桜はこんなハルヱの過去は知りません。
たった二年の間ですが、母ハルヱが診療所勤務で看護師として汗を流し、東京育ちの医師家族の世話をしながらこの御母衣の地でも青春を謳歌したに違いありません。

それを私は見ていません。でも『荘川桜』は目にしてるはずです。
私の知らぬ母ハルヱを『荘川桜』は知っているはずです。


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