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正月早々こんな話で恐縮です

唐突ですが、未確認飛行物体が好きです。
思い起こせば半世紀も前、一月の寒い夜に空飛ぶ円盤を見たのです。
1972年(昭和47年)小学6年の私は愛知県豊橋市の小学校に通っていました。近所で大学の教授が英語の塾をやっていて、母に頼んで行かせてもらいました。考えれば生涯で一度だけ行った塾でした。進学用の学習塾などまだ一般的ではなく中学で始まる英語に慣れましょう、みたいなほんわかした塾でした。

豊橋の冬の天気はいつも晴れです。太平洋岸気候による晴天が当たり前で夜は北風が強かったように記憶します。豊橋の手筒花火で有名な羽田八幡宮の近くのその塾に向かおうと自転車をこぎ出すと北の空に見慣れぬ光を確認しました。その光はまっすぐ西に向かうとすぐに止まり上下にジグザグに走りまた止まりそのまま西の空へ消えていきました。見てはならないものを見たようで背筋がぞくぞくして急いで塾に駆け込みました。そして、なぜか誰にもその事は話しませんでした。

それから半世紀、ことある毎に夜空を見上げてあの時のことを思い出すのですが、二度と私の前にあの飛行物体は現れることはありませんでした。
この広い宇宙に向けて有人飛行が可能となり、今では金と多少の体力さえあれば誰もが宇宙へ旅立つことの出来得る時代となりました。
だから、今、我々の知らない惑星からやって来る宇宙船に乗る生命体の存在を疑う人はいないでしょう。
子どもの頃に見たあの宇宙船に乗っていた彼からは「誰にも言うなよ」と言われたような気がしたのです。

今初めて明かしますが、その頃そんな話は眉唾なことで、「真剣にまわりに話するなよ、自分が損するだけだよ」と言ってどこかに消えたように思ったのです。
子どもの頃から何にでも興味があり、何でも信じて生きてきました。
あの中には私と同じ年頃の異星人がいたと思っています。
そして、それからずっとずっと観察されているような気がします。
私だけではなく地球のすべてを。

それをある人は神というかも知れませんが、もっと身近なものなんだと思います。
流行り病の再興や止まらぬ地球温暖化という、我々自身が想像の出来る未来に歯止めをかけることが出来ずに進んでいる現在、それを監視し、是正するのは我々人間のはずですが、出来ない愚かな姿を彼らは観察しているのかも知れません。
この『観察』が地球外に迷惑をかけて『監視』に変わらぬよう私たちは努力しなければならないのかも知れません。

てなことを真面目に朗々と綴ってきましたが、私はそんなに真面目な人間ではありません。
今日三日から難波の昼から開いてる飲み屋を、只今ネットで探しています。
多分そのうち宇宙船に引きずり込まれ、袋叩きならぬ電気ショックを与えられる運命にあると思います。
この、noteで知り得たお二人、🛸あなたのUFO友の会の会長『きんさん』さん、副会長『おりーぶ』さんにはそのうち詳細をご報告できるかと思っています。

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