見出し画像

研師(とぎし)ヒデの話「ヒデの聖戦」その3 この世にいない女

ヒデはマンションに帰って一人考えていた。
マルの店で聞いたこと、智といったアパートのこと、そこから出てきた智を育てた婆やのタケや、若い女、そして「フク」と呼ばれた不思議な猫。
聞こえた鉄扉の開閉音、赤ん坊の泣き声。

そこへ智からLINEがやって来た。
タケ婆やを送って京都の自宅に着いたこと、タケ婆やの自宅はそれほど遠くはなくアパートと同じ隣町だったこと、そして気になることがあるから明日法務局に寄って夕方マルの店に行く。
いま風の若い子の簡潔な文章だった。
「気になること」、そして「法務局での用事」がヒデは気になった。

ヒデは団子刺しと会話を始めた。鎌倉時代の妖刀『八丁念仏団子刺はっちょうねんぶつだんござし』は、ヒデに鞘から抜かれるのを待ち構えていたかのようにしゃべりだした。

「おい、ヒデ、お前とんでもないことに首を突っ込んだな。心してかかれよ」

「団子刺よ、そりゃどういう意味か説明してくれ」

「あの女はつえぇから、気ぃつけろ、そういうことだ」

そして加えた。

「もう一人つえぇのが出てくるからな」

ヒデには団子刺の言ってることが理解できない。でも団子刺はいつものようにヒデの行動の一部始終を監視しているかのようであった。

「団子刺よ、あの女ってあのアパートから出てきた女のことか」

「ああ、そうだよ。あの女はつえぇ。だから気ぃつけろって言ってるんだ」

「次に行く時にゃ、猫姫つれていきな」

それで団子刺は口を閉じてしまった。たぶんすべてはお見通しなのである。でもそれを言わないのは団子刺がヒデの生きる世界とは違う神の領域に近い世界にいるからである。口を開いた一言でヒデの運命を変えてしまうことはあってはならないことだと知っていたからである。

悲しき小刀「猫姫」は鞘から抜けばすやすやと眠っているのか、今はその時期ではないと思い黙っているのか、ただ美しい刃紋でヒデにいつものヒデでいるように、と言っているようだった。

ヒデはその夜も赤い夢を見た。逃れようと、もがいても、もがいてもその赤色から逃れることはできなかった。
寝汗をぬぐいヒデは汗のにおいをかぎ、それに血の匂いを感じることが無く安心して眠りに落ちるのであった。


翌夕、ヒデはマルの店に行った。智は先にやって来ていた。めずらしくウーロン茶を片手にマルと小声で話をしていた。

「ヒデさん、昨日はありがとうございました」

「婆さん大丈夫だったか、何か話を聞けたか?」

智はタケ婆やを自宅まで送った。自宅はアパートから20分ほどの住工混在の建売住宅の一軒家だったそうである。几帳面なタケは認知症になっても元来の几帳面はまだ残しており、こざっぱりと片付いた家だったそうである。そこに上がり込んだ智はしばらくタケと話をしてきたと言う。
タケは智の爺さんが元気でいるか気にし、智が子どもの頃のことを繰り返して話したという。智がどうしてあのアパートから出てきたかを問うとそれには頑なに応えなかかったと言う。でも認知症であるタケのあまりな頑なさに何か大変なことが隠されていると智は思ったと言った。

そして、智の話は続く。帰って爺さんにことの次第を伝えると爺さんの顔色が変わったというのである。アパートの存在も知っていたようだったのである。智が生まれて間もなく、智の両親は不慮の事故でこの世を去った。それから10年の余もタケを智のために縛り付けてしまった礼に不動産を渡したと爺の口から出たことがあったのを智は憶えていたのである。それがあのアパートと結び付き智の足を法務局に向かわせたのであった。
そこで手に入れた登記簿謄本の写しを智はカウンターに広げた。
もう10年以上も前に智の爺である西野仁志にしのひとしから小泉タケこいずみたけに所有権は移転されていた。

「でも、爺ちゃん何も言わないんだよ。きっと何か知ってるに違いないよ」

ヒデはマルに冷酒を頼み、あおり一息で飲み干すとしばらく目をつむった。
やっと日は落ち、店は客でにぎわい出していた。
智に声をかけ、二人でアパートに向かうことにした。

「また寄れたら帰りに寄ってね」

カウンターの向こうからマルは二人の背を見つめ声をかけた。

晩秋の日没は早かった。秋の短い昨今のこの頃吹く風は肌寒さも感じさせ、智はヒデのいつもと違う緊張も感じ恐怖にも近い何かを感じないではおれなかった。

「智、お守りだと思ってこの猫姫をしっかり持ってろよ」

ヒデは団子刺の言うとおりに悲しき小刀「猫姫」を連れてきた。でもまだ猫姫は眠ったままである。

「たぶんそのうち起き出すからな。何か言ったら抜いてくれ」

智はますます緊張感が高まった。
でもヒデは思っていた。その緊張感があれば、何かあってもやり過ごすことができるであろうと。この先は想像もつかない。賢い団子刺は智を連れて行くなとは言わなかった。きっとこのことも承知なのだろうと思ったのである。
運命を開くのは自身である、そう団子刺はヒデと智に言いたかったのではないだろうか。

あのアパートに何があるのか。あの若い女とタケは何をやっているのかを考えるがヒデにはまだ想像がつかなかった。



この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?